アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き山0153  かつて石碑があったのか 土台だけが残っている

2016年09月12日 14時36分18秒 | まち歩き

 

 

まち歩き 前回の記事  ➡  まち歩き山0152  古民家風  いまどきの家ではない

今日の俳句

鶺鴒よ この笠叩く ことなかれ /子規

 

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道標山0062  人康親王の墓

2016年09月12日 09時34分23秒 | 道標

 

人康親王御墓

大阪皇陵巡拝會

 

 

せきれい仁明天皇の第4皇子人康親王は、

天安2年(858)28歳のとき、両眼をわずらって失明された。

翌年出家入道して山科の地に隠栖し、

貞観14年(872)5月5日、42歳で亡くなったと伝わる。

道標 前回の記事 ➡ 道標向0061  阪急東向日駅前にある4つの道標

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せきれい

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寺院山0193  十禅寺  

2016年09月12日 06時57分34秒 | 寺院

 

 

 

揚柳山と号する本山修験宗、聖護院門跡の末寺である。

平安時代の859年、仁明天皇の第4の宮、人康親王を開山として創建され、この辺りが「四の宮」と呼ばれる所以となったといわれている。また、「泉水町」という当地の町名は、その頃、ここに大きな泉があったためとも云われている。

更に、人康親王の庵が山科御所と呼ばれていた名残りが、京阪電車の四の宮車庫の辺りを「堂後町」、当地の南を「垣の内町」及び「南河原町」という町名に見ることができる。

度々の戦火により荒廃したが、元和年間(1615~24)江玉真慶によって再興され、1655年、霊夢を見た明正天皇によって再興された。明正天皇は後水尾天皇東福門院の第2皇女で、当寺の本尊である聖観世音菩薩に特に信仰が厚く、遺言により、自身及び父母の位牌が当寺に安置され、脇侍に不動・毘沙門天像および明正・後水尾両帝の位牌を安置している。菩提寺勅願所として36石の禄と数々の宝物が下賜された。境内の東北隅の木の下に、開山人康親王の廟があるほか、宮中に代々伝わり、人形の原形といわれている天児、愛玩の人形這子、天皇直筆の文書である宸翰、庭石の短冊石などを蔵している。また、毎年11月3日には本山の御親修により、天下泰平・家内安全所願成就の御魔法要が行われる。京都市

 

仁明天皇の第4皇子人康親王は、天安2年(858)28歳のとき、両眼をわずらって失明された。翌年出家入道して山科の地に隠栖し、貞観14年(872)5月5日、42歳で亡くなったと伝わる。

1991年から1年かけて大改修された。梵鐘は第2次大戦の末期に供出してしまい、今はない。

 

 

 

大正元年8月 建立

 

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