旧藤尾小学校跡地
藤尾小学校百周年記念
平成4年6月吉日
石碑 前回の記事 ➡ 石碑中0056 隼神社 跡
今日の俳句
名月や 畳の上の 松の影 /其角
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平成4年6月吉日
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担当局は大津市でした
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き山0157 旧東海道 家の玄関先の 敷石
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東海道 大津・京都間三里(約12km)の道には物資を運送する牛車の通行を楽にするために、花崗岩の厚板石が敷き詰められ板。これが車石で、溝は牛車の頻繁な通行によって擦り削られて、できたものである。文化2年(1805)には、画期的な車石敷設工事が行われ、歩車道分離が整備された。この付近は、京に向かって右側が車石の敷かれた車道で、左側は人や馬の通る人馬道であった。人馬道は、旅人の安全の確保のために、一段高く設けられていた。境内には当時の一部を復元して保存している。 放光山 閑栖寺
宝暦時代期 車石
本堂内陣余間 基礎石 二基 斜め溝 一基
文化2年(1805)以前の宝暦年間(1751~63)
西原宗左衛門が用いたとする古い車石 藤尾の歴史より
車道(牛車道)
京都に向かって右半分 車幅約一間半(2.7m)
人馬道より約5寸(15㎝)から1尺(30㎝)低い所に
設けられていた
人馬道(往還)
京都に向かって左半分、道幅約1間半(2.7m)
本復元はその一部分である。
当時の様子を絵にしたもの
車石 ⇒ まとめ005 車石 のあるところ
寺院 前回の記事 ➡ 寺院山0194 善福寺 大谷派
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