轍の跡がくっきり 車石だ
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高原や 暁より飛べる 赤蜻蛉 /若沙
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高原や 暁より飛べる 赤蜻蛉 /若沙
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この地は江戸時代、東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたっていました。
追分町の名は、このような街道の分かれ道で、馬子が馬を追い分けることから
出たものです。
なお、江戸時代、付近の街道沿いには、髭茶屋町、南北追分町の
三か町が並んでいました。
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みぎは京みち
蓮如上人御塚
柳緑花紅 法名 未微
明和三丙(1765)
ひたりはふしみみち
昭和29年3月再建
是より十町
柳緑花紅 法名 未微
歴史に刻まれた街道[追分]
この地は江戸時代より東海道と伏見街道(奈良街道)の分岐点にあたり、
馬子が馬を追い分けることからその名前の由来となっています。
「大津絵の 筆のはじめは 何仏」
と芭蕉も詠んでいる大津絵は追分で生まれ
全国に広がりました
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道標 前回の記事 ➡ 道標山0064 小関越 三井寺への近道
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