天皇は嵯峨天皇の第3皇子、母は壇林皇后(橘嘉智子)。天長10年(833)24歳で即位され、在位17年。嘉祥3年(850)3月21日、清涼殿にて崩じた。宝算41。3月25日深草山の西麓に埋葬され、仁寿元年(851)3月嘉祥寺にて御忌斎会が行われたことが『文徳実録』にある。しかし、陵はその後所在をうしない、江戸時代には諸説紛々として容易に決せず、安永・天明の頃、善福寺の住僧が「東車塚」とよぶ荒墳を発掘して石棺を発見し、またその付近から陶壺に入った「乾元大宝」の古銭を得たことから、種々検討され、遂にここを深草陵と決定し、元治元年(1864)修治されるに至った。
『三代実録』貞観6年(864)8月3日で仁明天皇女御藤原貞子を、同じく深草山稜内に葬られたことをしるしているが、陵は未だ判明していない。昭和35年(1960)2月、名神高速道路を建設するにあたって陵の背後の台地(俗称茶山)を発掘したところ、平安前期の火葬址が発見されたことから、ここが女御火葬の「西車塚」ではなかろうかと検討されたが、決定には至らなかった。
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川柳
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