水の流れは 吸い込まれて 水中に
この門の向こうに発電施設があるようだ
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0311 琵琶湖疏水 墨染
川柳
妻肥満 介護になったら 俺悲惨 /小早川
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京都市伏見区京町9-38-1
寺院 前回の記事 ➡ 寺院上0258 勝満寺 浄土真宗 本願寺派
川柳
どの件のバチか神様黙ってる /天ノ川
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北方向 を見る あの橋からは ➡
南方向 2手に分かれています
突き当りは 道路が横切っています
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0310 京阪電車 踏切 深草墨染 歩行者専用
川柳
A型と菜園を見て言った妻 /柳川
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西方向を見ています この通りが 昔の廓街か
廓 入口の石柱が建っています
右側は 撞木町廓入口
左側は 志ゆもく町廓入口
この くぼみは なんでしょうか
大正7年8月吉日
東方向を見る
町の形がT字形になっているので、撞木町の名がうまれた。
慶長元年(1596)林又一郎が今のところより西方(田町)に設けたのが起こりといわれ、その後一時衰微したが、慶長9年(1604)現在の地に再開された。遊女は天神・囲・半夜からなり、太夫はいなかったが、伏見町の発展に伴ってさかんとりなり、元禄・宝永頃はもっとも賑わった。赤穂浪士大石良雄は山科に隠栖中、しばしば当廓の笹屋に来遊し、同志と密議をこらしたといわれ、これに因んで当遊廓で謀議するときは何事も成就するといわれ、来遊するものが多かった。その後、中書島遊郭等におされて衰微し、売春防止法施行前年の昭和32年(1957)には、お茶屋は9軒、接客婦は40名にすぎなかった。今は旅館や飲食店に転業している。
赤穂浪士 ゆかりの地 ➡ まとめ009 赤穂浪士の史跡・ゆかりの地
石碑 前回の記事 ➡ 石碑上0088 瑞光院跡 赤穂義士遺跡 山科に移転
川柳
立ち上がり 用を忘れて 立ちつくし /高橋
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