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彼は曽祖父(忠通)、祖父(兼実)にならって釈迦像を安置した一宇の仏殿を法性寺内に建立したいと思い立ち、2年後の延応元年(1239)上棟式をおこなったが、その開山にふさわしい名僧として円爾弁円を迎え、寺名を東福寺と号した。
これは「洪基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る」と道家の発願文にもある如く、奈良の東大寺と興福寺の二大寺の一字ずつをとったものであって、いかに彼が当寺の建立に熱意をもって推進したかが想像される。仏教側との摩擦をさけるため、はじめは天台・真言・禅の三宗の道場とした。寛文4年(1246)道家はまず山内の普門院を贈って弁円の常住所とし、法性寺の諸堂子院を吸収して伽藍の整備に当たったが、寺の完成をみずに建長4年(1252)光明峰寺において没した
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扉 左側
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