伏見人形の由来
天下に有名な伏見人形は稲荷山の埴土を以って造った最も古い郷土玩具であります。
全国で90余種以上もある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものはないといわれるほど我国土人形の元祖であり、民族的な美しさを誇っています。即ちその起源はむかし々土師部(土でいろいろなものを造る人)は歴史に名高い野見宿祢の後裔にあたる土師氏が、統轄して土器を造っておりました。垂仁天皇の時代に朝廷より土師職に任命されまして、伏見深草の里に住んで土器、土偶(土人形)を創りだし茲に生れたのが伏見人形であります。稲荷大社の祭事に使われる耳土器をはじめ、お使姫のお狐さんや饅頭喰い・チョロケン・玉・てんぼ等お馴染深いものなど現在残っている原型・土型は3000種余り、往時の風俗伝説を人形に表現したものが殆どで着想の飄逸奇抜、ユーモアに富んだ面白さ豊かな味、そしてその1つ1つににじみでている庶民的な素朴さ、今は外国人の人々にまで親しまれています。
一休禅師の歌に
西行も 牛もおやまも なにもかも
土に化けたる 伏見街道
伏見人形が現在のような姿になってくるのは、江戸時代に入ってからである。伏見人形といえば、ここ丹嘉が知られているが、裏参道の鳥居の近くにも玩具店を営む高畠喜兵衛氏の店がある。
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五七五
ゆるい服着てたらサイズあっちゃった /さちよ
ことわざ
阿波に吹く風は讃岐にも吹く(あわにふくかぜはさぬきにもふく)
ある土地の風俗や習慣は、他の土地にも移りやすい。また、上のすることは下も見習うようになるということ。どこに行っても人情は変わらないということ。
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