京都市東山区本町19-400-1
発遣の釈迦と来迎の弥陀の二尊を本尊として安置することから、寺名となった。『西山上人伝』によれば、当寺は九条道家が法然の高弟、善恵房証空(西山上人)のために建てた住房をのちに寺に改めたといわれ、境内墓地には近年つくられた上人の供養塔がある。寺は天正13年(1585)上京区北辺町に移ったが、旧地には慈眼堂と称する小堂が残った。明治初年いったん廃寺となったが、まもなく再興して旧名に復した。本堂に安置する聖観音立像(室町)は高さ約2m、右手に水瓶をもって直立する通例の像で、明治初年付近の廃寺の遺仏を移したものと伝え、他にも聖観音立像(室町)一体を蔵する。
19丁目の古名「下井町」というのは、寺内の井戸に由来する。明治初年に廃絶していたのを、大正3年、有志により再興された。慶長19年(1614)には東福寺塔頭として記されている。(東福寺文書)
西山国師 御終焉之地
南遣迎院
泉州堺 神南辺隆光
泉州堺 神南辺大道心
神南辺大道心隆光は江戸後期、泉州堺の住人。放蕩者であったが、仏門に入り、天保12年(1841)に没するまでの約20年間諸国を行脚して道標や石橋を勧請したという。隆光の遺品は堺を中心に約40点を数える。京都では6点が確認されています。ここはそのうちの1つ
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五七五
禁煙の褒美に一服吸ってみた /みつばん
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