明治末年から大正初期にかけて大橋仁兵衛が建てた別荘で、当時の住宅庭園の一例を示す。また「水琴窟」を設けた庭として注目される。
鯖は日本海の海産物で、八瀬、大原を通る若狭街道が知られている。鉄道開通以前の瀬戸内の鮮魚は、淀川水運により、鴨川と桂川の合流点近く、「草津」に運ばれた。草津は、現在は伏見区横大路に草津町がある。ここで陸揚げされた魚は、「走り」と呼ばれる運搬人により、鳥羽街道を一路京都を目指した。しかし、この道は京阪電車の鳥羽街道駅とは関係がない。古くは、鳥羽の作り道、後に大坂街道とも呼ばれ、平安京の羅城門に直結する道であった。輸送を容易にするために、車石と呼ぶ石のレールも敷かれていた。淀川水運には、夜行船があったから、朝の集荷と、京都への運びが、鮮魚価値の勝負どころであっただろう。大橋家はそのような鮮魚を扱う元請業者であった。
大正2年(1913)、草津浜で鮮魚の元請を営んでいた大橋仁兵衛が引退し、ここに隠居屋敷を構えました。そしてこの庭園、苔涼庭がつくられました。
南方に伏見稲荷の森をのぞむこの庭は露地(茶庭)風につくられ、しっとりと落ち着いた苔に覆われています。この庭の特色は自然石・石造石の数の多い点です。結晶片岩・鞍馬石・水蝕花崗岩など大小色とりどりの石が庭全体に散りばめられ、春日型・善導寺型などの石燈籠や蹲踞・縁先手水鉢などの石造品も要所に配されています。その中でも注目されるのは、蹲踞・縁先手水鉢のいずれにも水琴窟が構えられていることです。水琴窟というのは、手水のつかい水の排水装置を兼ねた一種の音響装置で、琴のような音色を奏でることからその名があります。
大橋家庭園は、大正はじめ頃の住宅庭園のありようを示す一例として、また、水琴窟を備えた庭園としても特筆されるものです。昭和63年5月2日、京都市文化財保護条例により、京都市登録名勝とされました。 京都市
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五七五
倦怠期昔ロミオとジュリエット /ピーターうさぎ
ことわざ
怒れる拳笑顔に当たらず(いかれるこぶしえがおにあたらず)
怒って振り上げた拳も、笑顔の相手には振りおろせない。相手の怒りや強気の態度には、かえって優しい態度で対するほうがよいという教え。
類・尾を振る犬は叩かれず
・袖の下に回る子は打たれぬ
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