アートプラス京めぐり

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京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き伏0384  琵琶湖疏水 ススハキ橋  

2017年02月12日 11時31分33秒 | まち歩き

琵琶湖疏水  ススハキ橋

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大正14年架橋

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まち歩き 前回の 記事  ➡  まち歩き伏0383  ランプ小屋  旧東海道線の史蹟

 

五七五

 

町が市となってもクマは知らんわな /一見紳士風

 

ことわざ

諍い果てての乳切り木(いさかいはててのちぎりぎ)

「乳切り木」は、地面から人の乳のあたりまでの長さの、両端を太く中央を少し細く削った護身用の棒。けんかが終ってから棒を持ってきたのでは手遅れである。時機に遅れて役に立たない物事のたとえ。

類・火事あとの火の用心

 ・葬礼帰りの医者話

 

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寺院伏0337  摂取院  浄土宗

2017年02月12日 08時27分37秒 | 寺院

 

 京都市伏見区深草直違橋11-106

 

 

浄土宗 鎮西派

慶長13年(1608)建立。明治11年(1878)東海道線建設のため、御前町から現地に移建された。

地蔵堂に祀られる腹帯地蔵(地蔵菩薩坐像、1.2m)は、解体修理により、典型的な平安時代の寄木造であることが判明した。銘文のうち最古のものは、平安末期の墨書といわれている。後頭部裏の墨書は、修理の時のもので、

大仏所大進法眼  六条東洞院仏所勅願寺 文明17年6月18日

と記してある。大進法眼とは、仏師が所属する仏所で、勅願の仏像を作った功績として「勅願寺」の称号が与えられたと考えられている。仏師の個人名は記していないが、上京区引接寺の閻魔像には、「大進法眼定勢」とある

                                         

腹帯地蔵尊   天保15年(1844)   

 

地蔵尊

 

 

六齋講

昭和2年12月 拾壱町目町中

 

 

 

當村 六齋講中

 

天保6年(1835)正月

 

 

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五七五

花とケーキ同じ値段で花戻す /やせっぽち

ことわざ

戦見て矢を矧ぐ(いくさみてやをはぐ)

「矧ぐ」は、竹に羽をつけて矢を作ること。戦いが始まってから矢を作る。の意で、何か事が起こってから慌てて対策を練ったり、準備することのたとえ。

類・泥棒を見て縄を綯う

 ・備えあれば患いなし

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