京都市伏見区深草直違橋6-300
「地蔵菩薩」と書かれた大きな提灯がなかったら住宅にしか見えない。歴史は古い。平安中期から後期の建立で、藤原一族の離れ座敷として使われていたという。寺名の由来は、もとの地蔵堂に藤原道明と橘澄清の二人が援助して寺を整備した。両名の名から一字ずつを取り『道澄寺』と名付けられた。その後、衰退とともに寺も朽ち、江戸時代初期、湛好という僧侶が一度再建したが、再び現代まで無住の時代が続いた。鵜飼住職が再建したのは1988年。もとの木造の地蔵堂と庫裏を全面改修した。一階の半分が本堂になっており、「延命地蔵」祀られている。もう半分はいろいろな催し物ができるようになっている。
奈良県五条市の藤原武智麻呂が建立した真言宗栄山寺(養老3年、719)に伝わる国宝の鐘は、道澄寺のものである。応仁の乱に掠奪されたのが、栄山寺に伝わった。
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五七五
あの人の本性知った緊急時 /天ノ橋立
ことわざ
何れ菖蒲(いずれあやめ)
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