京都市伏見区深草藤森玄蕃町690
由緒書き 残念 消えているところが多い
昭和43年11月3日 建立
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0350 了峰寺 曹洞宗
五七五
撮る父に私が笑っている写真 /水原
ことわざ
一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)
下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください
京都市伏見区深草藤森玄蕃町690
由緒書き 残念 消えているところが多い
昭和43年11月3日 建立
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0350 了峰寺 曹洞宗
五七五
撮る父に私が笑っている写真 /水原
ことわざ
一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)
下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください
境内 南側の通り
東山通に面する 大きな樟
石鳥居
神社号の建立は
大正7年5月 京都瓦工作業同盟會
天然記念物 新熊野神社ノ樟
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)
石鳥居 はっきりと読み取れず
ここも はっきり読み取れず
新熊野神社
熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山県)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。皇室の尊崇が暑く、社域は広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化財)は寛文13年(1673)に聖護院の道寛親王により再建されたものである。境内の楠の木は、熊野から移植した
後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。応安7年(1374) 能楽の祖・観阿弥・世阿弥父子が足利義満の面前で「今熊野神事神事猿楽」演能し、能楽隆盛を見た場所としても知られる。京都市
境内のジオラマ 石鳥居は 右の方 樟は右下方
神社 前回の記事 ➡ 神社伏0087 お産場稲荷社
五七五
ひなたぼこ ほこりの中に宇宙みる /涼
ことわざ
一姫二太郎(いちひめにたろう)
下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください