アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

地蔵尊伏035  伏見 伏見稲荷 付近 地中から出てきた

2017年03月27日 17時28分56秒 | 地蔵尊

子育て地蔵尊の由来

今は昔、1890年明治23年(京都府紀伊郡伏見深草村)当地にて、琵琶湖疏水の工事中、水田幸次郎氏(現水田治良次氏の厳父)の所有地から石のお地蔵様4体が発掘され、驚いたり有り難がったりで祓い清め、当町に寄贈され当町内会としても手厚く迎え入れ、当町並びに近所の子供の無病息災を祈り、ここに安置するものです。

東一の坪町自治会

 地蔵尊 前回の記事  ➡  地蔵尊伏034  伏見区 深草 榎木橋町

五七五

徒歩出勤 抜きつ抜かれつバスが行く /水戸っぽ

ことわざ

田舎の学問より京の昼寝

 

下のユーザー地図で京都の記事探索が出来ます。試してみてください


神社東0094  新熊野神社  7

2017年03月27日 06時41分18秒 | 神社

新熊野神社の「梛」のいわれ

当社は古来「梛の宮」ともいわれ、梛(椥とも書く)の名所である。ナギはイヌマキ科の常緑樹。雌雄異株で、葉は多くの縦脈からなり、容易に切れにくいため、縁むすびの樹といい、また実は2つ並んで仲よく実るところから、夫婦円満の目出度い樹とされている。歌聖、藤原定家(鎌倉初期の人)は「千早振る遠つ神代の梛の葉を切りに切りても祓いつるかな」と詠っているように、ナギは罪穢、災禍・病魔などをナギはらう霊験があると信じられ、熊野詣などには、道中安全のお守りとした。またナギは朝凪・夕凪のナギから安全・無事を守り、平和と幸福を招来する霊樹といわれている。

本殿 大樟

現在の本殿は、寛文13年(1673)に造営されたものである。

新熊野神社は、後白河院によって法住寺殿が造営されたとき、その鎮守社として新日吉社とともに、永暦元年(1160)に勧請されたことに始まります。

当社所蔵の「古今熊野記禄」には「遷宮之礼」として、寛文13年(1673)6月、延宝9年(1681)6月27日、正徳4年(1714)10月11日、享保14年(1714)12月25日の年号を記しています。

また寛文12年7月7日付けで普請を許可する記載も見えています。現本殿は、向拝や一部の細部等は江戸時代中期以降のものと見られるものの、内部は古風で、また規模も寛文の記載とほぼ同じであることから、寛文13年に造営された後、延宝9年、正徳4年、享保14年に修理が加えられたものと考えられます。

本殿は桁行3間、梁行1間の入母屋造、妻入で正面に向拝1間を付け、内部は正面通り1間の外陣とその奥2間の内陣に分かれてます。この本殿は、構造形式・平面構成ともに熊野本宮証誠殿と同じで、全国的に見ても、また京都においても他に類例が少なく、さらに熊野本宮証誠殿よりも古いことからも評価されます。

 

絵馬  八咫烏

狛犬

 新熊野神社 ➡  神社東0093 新熊野神社  6

                神社東0092 新熊野神社  5

            神社東0091 新熊野神社  4

            神社東0090 新熊野神社 3

            神社東0089  新熊野神社 2

            神社東0088  新熊野神社  その1

 神社 前回の記事   ➡  神社伏0087 お産場稲荷社

 五七五

なんにでもなれそうだった若きころ /赤とんぼ

ことわざ

いつも月夜に米の飯