新熊野神社の「梛」のいわれ
当社は古来「梛の宮」ともいわれ、梛(椥とも書く)の名所である。ナギはイヌマキ科の常緑樹。雌雄異株で、葉は多くの縦脈からなり、容易に切れにくいため、縁むすびの樹といい、また実は2つ並んで仲よく実るところから、夫婦円満の目出度い樹とされている。歌聖、藤原定家(鎌倉初期の人)は「千早振る遠つ神代の梛の葉を切りに切りても祓いつるかな」と詠っているように、ナギは罪穢、災禍・病魔などをナギはらう霊験があると信じられ、熊野詣などには、道中安全のお守りとした。またナギは朝凪・夕凪のナギから安全・無事を守り、平和と幸福を招来する霊樹といわれている。
本殿 大樟
現在の本殿は、寛文13年(1673)に造営されたものである。
新熊野神社は、後白河院によって法住寺殿が造営されたとき、その鎮守社として新日吉社とともに、永暦元年(1160)に勧請されたことに始まります。
当社所蔵の「古今熊野記禄」には「遷宮之礼」として、寛文13年(1673)6月、延宝9年(1681)6月27日、正徳4年(1714)10月11日、享保14年(1714)12月25日の年号を記しています。
また寛文12年7月7日付けで普請を許可する記載も見えています。現本殿は、向拝や一部の細部等は江戸時代中期以降のものと見られるものの、内部は古風で、また規模も寛文の記載とほぼ同じであることから、寛文13年に造営された後、延宝9年、正徳4年、享保14年に修理が加えられたものと考えられます。
本殿は桁行3間、梁行1間の入母屋造、妻入で正面に向拝1間を付け、内部は正面通り1間の外陣とその奥2間の内陣に分かれてます。この本殿は、構造形式・平面構成ともに熊野本宮証誠殿と同じで、全国的に見ても、また京都においても他に類例が少なく、さらに熊野本宮証誠殿よりも古いことからも評価されます。
絵馬 八咫烏
狛犬
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五七五
なんにでもなれそうだった若きころ /赤とんぼ
ことわざ
いつも月夜に米の飯