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石碑中0137  平安時代 弘文院 址

2017年11月10日 20時10分55秒 | 石碑

 此附近   弘文院址

 

弘文院は,平安初期に和気氏によって開かれた大学別曹である。和気清麻呂(733~799)の長子広世(生没年未詳)が,延暦年間(782~806)に大学別当になり,父の志を継いで大学南辺の私宅を弘文院とした。内外の経書数千巻を蔵し,墾田40町をその財源とした。大学別曹の中で最古のものと位置づけられるが,和気氏の衰微とともに廃滅した。この石標はその跡を示すものである。  昭和三年六月   京都史蹟会引継

 

 

大正六年三月建之   京都市教育会

石碑 前回の記事 ➡ 石碑左0136 西田幾多郎の歌碑・哲学の道

五七五

うらめしや 今年の秋刀魚やせている /福居

ことわざ

針の筵

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関連0001  三条小鍛冶宗近

2017年11月10日 06時51分34秒 | 人物数々

三条小鍛冶宗近

1  石碑山0060  元祖走井餅本家

2  寺院左0218  仏光寺本廟  小川治兵衛の墓

3  まち歩き伏0407 伏見稲荷「お山めぐり」 御釼社(長者社)

4  神社東0116  合槌稲荷大明神

5  神社八幡0172 三條 古鍛治 相槌神社  三宅石碑  山ノ井戸

6  まち歩き左1718 大原 祖世野池(そよのいけ)

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9

 

 


神社東0116  合槌稲荷大明神

2017年11月10日 06時45分23秒 | 神社

 

正一位 合槌稲荷大明神参道

 

横から見る 変わった形をしています

ここは刀匠三条小鍛冶宗近が常に信仰していた稲荷の祠堂といわれ、その邸宅は三条通の南側、粟田口にあったと伝える。宗近信濃守粟田藤四郎と号し、粟田口三條坊に住んだので三条小鍛冶の名がある。稲荷明神の神助を得て名刀小狐丸をうった伝説は有名で、謡曲「小鍛冶」も、これをもとにして作られているが、そのとき合槌をつとめて明神を祀ったのがここだともいう。なお宗近は平安中期の人で、刀剣を鋳るのに、稲荷山の土を使ったといわれる。

謡曲史跡保存会

 

此の奥を 左に折れる

 

此の奥を さらに右に折れる

 

祠が見えてきました

 

合槌稲荷大明神

粟田口の仏光寺本廟には宗近が刀剣を鋳るときに用いたという井戸址がある。宗近は橘平田仲宗といい、藤原兼家の番鍛冶だったので、三条小鍛冶宗近とよばれた。こことは別に山科北花山の花山稲荷社にも同工異曲の話があって、ここでは宗近が稲荷神の夢告により同所の土で「小狐丸」を鍛えたと伝える。

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神社 前回の記事 ➡ 神社左0115 大豊神社 御旅所

五七五

空の青 飛行機雲が真っ二つ /東谷

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