明治天皇御駐輦所観月橋 明治7年2月7日
明治10(1877)年,明治天皇(1852~1912)の関西行幸が行われた。
この行幸は西南戦争勃発のため長期化し,
京都には1月28日~2月6日・2月16日~7月28日に滞在。
2月7日神武天皇陵参拝のため奈良に向かう途中,この地観月橋(豊後橋)で休憩した。
この石標は明治天皇が休憩した観月橋を示すもの
昭和13年3月 京都府建之
淀川維持区域標
淀川是下至海
京都市伏見区豊後橋町
昭和6年4月1日 内務省
観月橋
昔は紀伊郡と久世郡との境界にあたる重要な橋であった。伏見殿のあった頃は桂橋と称したが
伏見築城のとき、一説に大友豊後守宗麟が秀吉の命によってあらたな橋を造ったことからともいわれる。
のちに指月の南につづく観月の賞地として、観月橋と改めた。
江戸時代には人気を集めた。
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