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観月橋  明治天皇御駐輦所観月橋

2017年11月22日 07時15分44秒 | 石碑

 

 

明治天皇御駐輦所観月橋   明治7年2月7日

 

 明治10(1877)年,明治天皇(18521912)の関西行幸が行われた。

この行幸は西南戦争勃発のため長期化し,

京都には128日~26日・216日~728日に滞在。

27日神武天皇陵参拝のため奈良に向かう途中,この地観月橋(豊後橋)で休憩した。

この石標は明治天皇が休憩した観月橋を示すもの

 

 

昭和13年3月   京都府建之

 

 

淀川維持区域標

 

 

淀川是下至海

 

 

京都市伏見区豊後橋町

昭和6年4月1日 内務省 

 観月橋

昔は紀伊郡と久世郡との境界にあたる重要な橋であった。伏見殿のあった頃は桂橋と称したが

伏見築城のとき、一説に大友豊後守宗麟が秀吉の命によってあらたな橋を造ったことからともいわれる。

のちに指月の南につづく観月の賞地として、観月橋と改めた。

江戸時代には人気を集めた。

 

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石碑伏0140  明治天皇御駐蹕之址  淀城跡

2017年11月22日 07時03分01秒 | 石碑

 

明治天皇(18521912)は,慶応4(1868)321日親征・海軍検閲のため大坂行幸。同日この地淀城で休憩。同月23日大坂行在所となった本願寺別院に到着した。1カ月余大坂に滞在し,閏47日大坂を出発。水路八軒屋より守口に上陸し,同日淀城で宿泊。翌日鳥羽で休憩後,京都へ還御。この石標は明治天皇行幸の地を示すものである

明治天皇御駐蹕之址

慶応四戊辰年三月二十一日大阪ヘ   行幸ノ御途次当淀城ニ御小憩ノ後大阪ヘ御出発アラセラレ同年閏」

 四月七日車駕還幸水路当城京口浜ニ御着同夜城内ニ御駐泊翌八日京都ヘ還御アラセラル」

 今茲十一月   今上天皇陛下御即位ノ大礼ヲ挙ケサセラルヽニ方リ記念ノ為*城温故会之ヲ首唱シ有志」

 ノ士相集リ此所ニ碑ヲ樹テ史実ノ梗概ヲ録シ以テ後世ニ伝フト爾カ云フ

                昭和三戊辰年十一月明治節日建之

                                                          石工榎並丑

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