江戸時代には淀城下からみれば宇治川の対岸で、あいだに淀小橋がかけられていた。宇治川のつけかえ工事で淀小橋がなくなるのは明治の末である。石碑は淀小橋のたもとにあたる場所に建っている。
唐人雁木 旧跡
唐人雁木旧跡 唐の文字がちょっと違うのだが
唐人雁木碑の唐人は朝鮮通信使をさす。朝鮮通信使は江戸時代に徳川将軍の代替わりを祝うために朝鮮から派遣された使節団である。雁木は船着き場の階段。通信使は瀬戸内海を東へ進み、大坂から川舩で淀へ着く。淀小橋のたもとの雁木から上陸し京都へ向かった。文化8年(1811)を最後に朝鮮通信使がとだえ、唐人雁木という名前の意味を知る人が無くなってきた。
平成2年 結成15周年記念 京都淀ライオンズクラブ建立
元の石碑は何処にあるんだろう
昭和2年春 再建 三宅安兵衛遺志建立
三宅安兵衛(1842~1920)は京都の帯問屋。息子清治郎(1872~1940)に遺言し、京都府下に400箇所以上の道標などを建てさせた。
納所交差点 石碑は 赤信号の道を少し行き 左側にありました 2本目の電柱
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