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まち中に残る 手押し井戸ポンプをまとめてみました
中には現在も使われているものもあります
11 井戸 手押しポンプ
12 ポンプ下01 使われなくなったのに なぜ残っているのか 井戸ポンプ
14 福長神社
15 まち歩き東0250 手押しポンプ がありました
26 まち歩き中1280 京の通り 麩屋町通 NO41 白山神社 神社中0230
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11 井戸 手押しポンプ
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淀川瀬水車旧趾
淀の地には昔から水車が設けられ,12世紀末の『梁塵秘抄』にも淀の川瀬の水車と詠われた。江戸時代には淀城北側,桂川と宇治川の合流点附近に大小二つの水車があった。大は直径8間,小は6間で,川の水を吸い上げ,淀城の泉水に引いていた。この水車は,天正14(1586)年,淀水運支配河村与三右衛門(?~1615)が作ったもので,もとは農業用であった。この石標は水車の跡を示すものである。
昭和三年秋 京都三宅安兵衛依遺志建之
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道標 前回の記事 ➡ 道標伏0141 戊辰役戦場址
五七五
金木犀山門高く車止め /岩谷
ことわざ
肺腑を突く
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この石標は,戊辰役東軍戦死者埋骨地南の堤防上にあったものが現地に移されたもので,戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の跡を示すものである。慶応4(1868)年正月3日夕方に鳥羽伏見戦が勃発,次第に淀方面に主戦場を移した。5日この附近は幕府軍砲兵の陣地となり,官軍来攻に備えた。官軍の総攻撃に幕府軍が応戦して激戦となり,多数の戦死者を出し,幕府軍は納所から敗走した。
是南従石清水八幡宮一里
是北従城南離宮一里至
昭和三年春京都三宅安兵衛遺志
戊辰役戦場址
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