明親館條令
明親小学校は、江戸時代は、「明親館」と呼ばれ、万延元年(1860)5月に淀藩の家老、松尾直在が中心になって、現在の校地に創設された。「條令」は9カ条にわたって学問の目的や姿勢が示されている。当時の考え方がわかるが、今日では不適切な表現もある。
明治5年(1872)の学制により明親館は明親小学校となり、その後、所在地の久世郡淀町が昭和 32(1957)年に京都市伏見に編された京都市伏見区に編入されたことを伴い。京都市立伏見区に編入された
番組小学校 ・まとめ041 番組小学校