万福寺
宝国山と号し、西山浄土宗の寺。創建年代は明らかでない。
寺伝によると禅僧殊峰上人の開祖、心徹和尚の再興と伝え、
元禄年間(1688~1704)の火災後に再建された本堂には、本尊阿弥陀如来像を安置する。
伝毘沙門店半跏像(平安時代)本堂内にあり、もと久世神社の神宮寺(若王子)の遺仏と伝わる。
高さ71㎝、一木彫成の白木造りで、檀像風の像である。頭部に3面の宝冠をいただき、
身に冑を着て岩座(後補)の上に半跏座に座し、
左手に矛、右手はひじを曲げ、両眼を大きく見開き、異様な口元をした忿怒相である。
平安時代後期の作とみとめられ、寺伝では毘沙門天像といわれるが、神像と見られる。
11面観音坐像 (鎌倉時代)
久世神社の神宮寺の遺仏とつたえる。木像、高さ59㎝、右手に数珠、左手に蓮華を入れた水瓶をもち、
岩座上に座す白木の像で、顔容は鎌倉時代に近い藤原風の好みをあらわす。
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丸塚古墳
丸塚古墳は、前方部が低く短い帆立貝形の前方後円墳で、周囲には周濠がめぐります。
墳丘の長さは80mで、周濠を含めた全長は104mあります。後円部の直径は63mあり、高さは東側で8.3m、西側で9.6mあります。
後円部は2段に築かれていると考えられており、墳丘斜面には葺石が施され、1段目平坦面には埴輪列がめぐっています。
前方部の長さは17mあり、幅は前端で32m、クビレ部で26.5mあり、高さは約2mあります。
前方部は1段に築かれ、墳丘斜面には葺石が施されています。
周濠は墳丘と相似形で、幅が16mあります。
また、周濠の上縁から1.8m外側には約6.6m間隔で円筒埴輪が据えられています。
この埴輪列にわり、古墳の範囲(墓域)を区画していると考えられます。
埋葬施設については未調査のため明らかではありません。
墳丘からは、円筒埴輪・朝顔形埴輪や形象埴輪が出土しています。
形象埴輪は据えられた状態でみつかったものはありませんが、家形埴輪・蓋形埴輪・甲冑形埴輪が出土しています。
特に家形埴輪は、5棟以上の破片が出土しています。
この内の1棟は大形の入母屋造の家形埴輪で、桁行が約72㎝、梁行が約60㎝、高さが約1メートルあります。
出土した埴輪から、5世紀初めに築造されたと考えられます。
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