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寺院城陽0759 高岳寺  浄土宗鎮西派報恩寺

2021年01月09日 17時32分09秒 | 寺院

 

高岳寺

歓喜院顕照山と号する。浄土宗鎮西派報恩寺末の寺で、

天正12年(1584)天誉誓念上人が豊臣家臣堀吉田之助なるものの帰依によって再興したといわれ、古くは歓喜院と号した。

現在の本堂は明治44年(1911)中興大誉音徹上人によって再建されたもので、

堂内には本尊阿弥陀如来像を安置する。他に地蔵堂や庫裡がある。

 

京都府下最古の学校建築物

顕照山 高岳寺 元本堂跡

高岳寺元本堂は、明治42年(1909)10月4日、京都市の旧成徳小学校講堂を移築されたものです。

この講堂は、明治8年(1875)12月に建築された、現存する京都府最古の学校建築物であり、

また、本堂向拝(学校玄関)は、明治初期の「擬洋風」の建築様式を今に伝える貴重な建築物です。

平成18年(2006)12月、本堂改築に当たり、光背が京都市学校歴史博物館玄関として移築保存されました。

 

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寺院城陽0758 三縁寺 浄土宗

2021年01月09日 06時02分05秒 | 寺院

 

三縁寺は仏光山と号し、浄土宗百万遍知恩寺派の寺で、

室町時代中期の明応6年(1497)顕誉上人の創建と伝える。

本堂の南正面にあるこの門は、明治18年(1884)

に京都建仁寺の護国院(開山堂・霊屋ともいう)の表門を

明治になって移築したもので享和元年(1801)の棟札がある。

当初の建造時期は安土桃山時代と推定される。

この大門の様式は一間一戸向唐門で、旧葺きでふったのが現在桟瓦葺に改められている以外は、

大きな改造を加えることなく元の形式を伝えている。

この向唐門は本格的な造りになるもので、

唐風のゆるやかな勾配をもつ屋根の曲線はのびやかで美しく、

城陽市における貴重な遺構の1つである。

 

本堂(江戸時代)

五間六面、入母屋造り、桟瓦葺、元禄15年(1702)の失火後、

享和元年に再建したと伝え、本尊阿弥陀如来像(室町時代)を安置する。

 

聖観音立像

本堂内脇壇に安置。高さ75㎝、わずかに謹白のあとが見られる。

右手を垂れ、左手に宝瓶をもち、目は細く、全体に細身につくられている。

顔容は豊満で、ふっくらと髪を持ち上げたところは、

一見天平様式を思わせるが、寺では天平仏といわれるが、

製作年代があきらかでない。寺伝では旧正面寺の遺仏と伝える。

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