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まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き下1476 京の通り・柳馬場通 NO9 提灯卸 柳瀬 江戸末期創業 町名・忠庵
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初代は、江戸時代末期に美濃の国より京都に移り、松原通柳馬場東入ルにて提灯業を興し、
後に現在の地に店を構える。
昭和3年、昭和天皇の御大典の際に、京都御所での式典に使用する提灯を献上。
ホームページより
当社の創業は江戸末期でございます。
その当時、提灯は「あかり」として使われており、言わば電気店のような存在でした。
現在では神社仏閣や祭礼における装飾品としての色合いが濃くなっております。
先人より伝えられた匠の技を持つ職人も減少の一途をたどる今、
当社では先代の時代より長年提灯を張り続けている職人の技術を継承すべく、
若手の職人の養成にも力を注いでおります。
日本の大切な文化の1つであるお祭りを、
象徴としてではなく人々の生活の一部として、
これからも皆様のお役に立てる企業でありたいと願っております。
代表取締役 六代目 栁瀬憲利
昔のこの家の電話番号 が 書かれた 木札 下壱六六参
町名 忠庵町
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