御弓師 柴田 勘十郎 さん
蔵の屋根にまで届く梯子
材料の竹でしょうか
前回の まち歩き 記事 ➔ まち歩き下0051 猫スペース
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御弓師 柴田 勘十郎 さん
蔵の屋根にまで届く梯子
材料の竹でしょうか
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癒しの猫スペース
癒しの猫スペース
ねこうあん
いらっしゃいませ ひとなつこい ねこちゃんたちと
楽しい時間を お過ごしください
♡ ねことのんびり1時間 500えん
♡ 延長 10分につき 100えん
休憩中の 猫かな
前回の 町歩き記事 ➔ まち歩き下0050 めずらしい 間口の大きい家
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明王院不動寺
青蓮山と号し、真言宗東寺派の寺で、俗に「松原不動」という
持統天皇5年(691)に、道観大徳が開基した法相宗の寺であったが、のち弘法大師が自作の「石仏不動明王」を安置してから現宗に改まったといわれている。平安京造営の時に、桓武天皇は王城鎮護のため平安京の東西南北の4つの磐座(石蔵)に経巻を収めたが、明王院はその四岩倉の1つで「南岩倉」と称したと伝えられている。
天暦年間(947~957)、賀茂川氾濫に遭い、堂舎はことごとく流没し、一時比叡山の苔筵法師によって再興されたこともあったが、応仁の乱で荒廃し、石像も塵芥の中に埋もれてしまった。
天正年間(1573~1592)、豊臣秀吉は聚楽第の造営に際し、多くの石をかり集めた。ここから苔むした本尊不動明王を得て、聚楽第に収めたところ、夜な夜な不思議な光を放ったので、霊験を感じ、旧地に堂舎を建立し、これを再び奉安したという。 京都市
中の地蔵尊
昔の 駒札
南岩倉
前回の 寺院 記事 ➡ 寺院下0062 大念寺 真宗大谷派
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ネオンが小さ目 道幅が狭いため 大きなネオンが出せないのでしょう
前回の まち歩きの記事 ➡ まち歩き下0048 角石 縦穴と彩色
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松野仏具店
ご挨拶
謹啓 皆様には 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます
永年に亘りお引き立てを頂いて参りました私共松野仏具店は 本年末をもちまして廃業致すこととなりました
これまでのご愛顧に心より御礼申し上げます
引き続き 宜しくご厚誼賜りますようお願い申し上げます
皆様の今後益々のご健勝ご発展をお祈り申し上げます
略儀ながら取り急ぎご挨拶申し上げます
謹白
平成25年12月
松野仏具店 店主 代
松野 吉孝
前回の 右書き看板 ➡ 右書き看板103 商器銅 店商村西
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松原通の歴史
「松原通」は「平安京」造営のときは道幅24メートルの「五条大路」でした。「牛若丸と弁慶」でおなじみの五条大橋は今の「松原橋」となります。「清水寺参詣の人々は五条の石橋を渡っていく」とありますから、当時から賑やかな場所だったようです。鴨川の中州には「大黒堂」があったらしく、橋も今のような立派な一本の橋ではなく広い河原の中州から中州へ飛び飛びに掛かっていたようです。橋を渡って東へ行くと鳥野辺(葬送の地)入口には珍皇寺があります。そしてそして彼方には清水寺。平安末期には六波羅一帯は平家一門の住まいとなります。我々が思い浮かべる立派な「五条大橋」は室町期以降のもののようです。秀吉が京都大改造をする以前の鴨川に掛かる大きな橋は五条橋だけだったようです。
京都の三大祭り(時代祭が始まる以前は「葵祭」、「祇園祭」「稲荷祭」)の2つまでがなぜ松原通を通っていたのでしょうか 平安時代中期、祇園社と稲荷社との氏子区域が曖昧で五条大路(松原通)をはさんで両社の争いが絶えませんでした。それほどに五条大路は大切な道路であったようです。この争いは深刻な問題となり時の天皇の決裁を仰ぐこととなり綸旨(りんじ 天皇の言葉)で両社の境界が定められたそうです。今も松原通に面する町内では北側が祇園祭、南側が稲荷祭の氏子です。昭和30年頃までは、松原通の方々は両方の祭を楽しまれました。これをお互いに「もらい祭」と呼んでいました。
前回の まち歩き 記事 ➡ まち歩き下0044 炭屋さん
車の右左折時の接触防御のための石でしょう
縦穴があり 何に使っていた石でしょうか
前回のまち歩き 記事 ➡ まち歩き下0047 昔の電話番号が軒下に掲げてありました
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西村松寿堂
西村松寿堂
明治18年(1885)の創業、茶道で湯を沸かすために用いる風炉(ふろ)や茶釜、鉄瓶などの茶道具類、及び銅製の花瓶や吊燈籠などの工芸品を販売する老舗。店頭では、銅・鉄製品などの金属工芸品の取り扱いが主であり、店先には鉄風炉や鉄瓶などを展示する
前回の 右書き看板 記事 ➡ 右書き看板下102 扇月花保秋 看板に謎の文字が
昔は貴重な電話 番号はこのように家の軒下に表札のように掲示されていました
話 〇 〇の文字はどんな字なんだろう
下 壱六六参番 と書かれています
関連記事 ➡ まち歩き下0057
前回のまち歩き 記事 ➡ まち歩き下0046 地蔵尊 家と一体に
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