京都市伏見区大阪町609
会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
伏見御堂は桃山時代の慶長年間に東本願寺の第12代法主・教如が創建しました。本堂は徳川家康の居城・向島城の殿舎の遺構を改築したものと伝えられ、大正4年(1915)に刊行された『京都府紀伊郡誌』に、寺域は徳川家康の寄進によるもので、蓮池を埋めたことから蓮池御坊とも呼ばれたと記されています。ここを拠点にして教如は家康に働きかけ、七条烏丸に広大な寺領を寄進され、本願寺から東本願寺を分派独立することに成功しました。幕末の慶応4年(1868)1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が伏見京橋に上陸、ここ伏見御堂を宿舎としました。翌3日、薩摩藩との間で小競り合いをしている最中の午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、伏見奉行所を攻撃したことから伏見の町でも戦いが始まりました。本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあったともいわれ、建物には大きな損害を受けたと伝えられています。そのため、創建当初、建物は東向きにつくられましたが、明治18年(1885)に南向きに縮小して建て替えられました。平成2年(1990)に建物の老朽化にために取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門が残されています。 伏見観光協会平成21年12月
京如上人御舊跡 伏見御坊
伏見別院は、慶長4年(1599)頃、本願寺第12代(東本願寺初代)教如上人が徳川家康より寺地としてこの地の寄進を受け、また堂舎には伏見に南隣する向島にあった家康の御殿を拝領し建立された。往時この地には蓮池に面し、そこには一茎双頭の蓮華や二葉が生え、蓮池御坊あるいは双葉御坊とも呼ばれた。
第17代真如上人(一説に第13代宣如上人)の時代に再建され、その後文久3年(1863)の教如上人250回忌法要にあわせてあらためて建て替えられた。本堂に加え客殿、正殿、末寺溜所、鐘楼などが建ち並んだという。
鳥羽伏見の戦いの際には、会津藩の宿舎となったこともあり堂舎も損害を受け、明治18年(1885)に、南向きに縮小して建て替えられたが、老朽化のため平成元年(1989)に解体し、仮本堂が設けられた。現本堂は旧本堂の解体から約25年を経た、平成26年(2014)3月に完成し、同年4月11日に竣工式が、翌12日に落慶法要と教如上人400回忌法要が厳修された。本堂の正面の東側にある寺標と西側に配置されている石は再建事業の際に出土した約400年前に建立された本堂の礎石である。
伏見御坊礎石
約400年前の本堂の礎石
真宗大谷派 伏見別院
約400年前の本堂の礎石
境内墓地には、慶長5年(1600)、伏見城を死守して戦死した安藤次右衛門定次とその息安藤駿河守(京都町奉行兼伏見奉行)父子の墓がある。
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0297 源空寺 浄土宗 紀元2600年
川柳
わが家では消費期限は5日足す /中山
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京都市伏見区瀬戸物町745
浄土宗のお寺で、宝海山法然院源空寺といいます。
法然上人のご霊場25箇所の1つです。
寺伝によれば、建久6年(1195)天台宗のお寺「光堂寺」として忍空上人が炭山(宇治市)に創建されました。その後、忍空上人は法然上人の弟子となって、お寺もろとも浄土宗に宗旨替えをし、法然上人のお名前「法然房源空」を頂戴し「源空寺」となりました。1595~1615年の間に(慶長年間)徳川二代将軍秀忠公、三代将軍家光公によって、当地に移されました。
本堂にお祭りしている「法然上人のお姿座像」は、忍空上人が法然上人にお願いして作って頂いた「張子大師」です。二階建ての山門の階下両脇には、石仏六体地蔵、愛染明王像、朝日大黒天像をお祀りしています。
朝日大黒天像は、豊臣秀吉の持念仏で、もともと伏見城の巽櫓にあったものを、一時京町大黒町に預けられた後、このお寺に移されました。
洛南保勝会
円光大師25霊場
明和2年(1765)
皇紀二千六百年記念
瀬戸物町
南無阿弥陀佛
昭和12年2月建立
愛染明王
恋愛成就、縁結び守護、夫婦円満
太閤秀吉御持念
即一六躰地蔵尊
朝日大黒天
石黒勘三郎 墓
紀元2600年 まとめ ➡ 紀元2600年に関する記事
六体地蔵尊 ➡ 地蔵尊上014 六体地蔵(六面) 初めて見ました 珍しい
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0296 聖恩寺 黄檗宗
川柳
独り言返事をされてうろたえる /若狭姫
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京都市伏見区桃山羽柴長吉西町3
聖恩寺 門前
子安地蔵尊 次からの文字が埋めてあり 判読 困難
文字が コンクリートみたいなもので埋めてある
左 ふし・・・・・ち とまでは解るのだけど
道標 前回の記事 ➡ 道標伏0085 荷田東丸大人墓道
川柳
借金とローンの違い分からない /山ちゃん
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京都市伏見区桃山羽柴長吉西町3
黄檗宗 聖恩寺
地蔵尊
子安地蔵尊 次からの文字が埋めてあり 判読 困難
文字が コンクリートみたいなもので埋めてある
左 ふし・・・・・ち とまでは解るのだけど
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0295 観音寺 真言宗智山派
道標 前回の記事 ➡ 道標伏0085 荷田東丸大人墓道
川柳
予想士と言えば外れも納得し /大塚
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京都市伏見区観音寺町201
何が書かれているか 不明 判読不可
主な 行事が書かれています
慈母観世音
元禄15年5月(1702)
地蔵尊
天保5年(1834)・・・・・
京町・・・
鐘楼
寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0294 真西院 真宗大谷派 伏見義民
川柳
泣く孫を狂ったようにあやす祖母 /ゆきんこ
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この石碑 なんなのか 何を表しているのでしょう
石碑 前回の記事 ➡ 石碑右0094 千石公園の石碑 千石船 スエーデン皇太子見学
川柳
買って税働いて税貯めて税 /ひろよし
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大念仏狂言 狂言は、能楽の一部として発達したものの他に、民族芸能として伝統行事の中で伝承されてきたものがある。念仏の布教のために催された念仏狂言もその1つ。京都の三大念仏狂言として、壬生寺の「壬生大念仏狂言」(2月、4月、10月)、引接寺(千本閻魔堂)の「ゑんま堂大念仏狂言」(5月)、清凉寺の「嵯峨大念仏狂言」(3月、4月、10月)が有名。壬生・嵯峨ともに狂言面をつけて演じる無言劇であるが、千本閻魔堂はセリフが入るのが特徴
関連 ➡ 嵯峨大念仏狂言 主役はこどもたち
ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0049 伏見の民謡と京のわらべうた
川柳
大物の離婚と言うが知らないな /ハイジ
淀川三十石船舟唄 酒造り唄 茶つみ唄
竹田の子守唄 但馬流もとすり唄 寺御幸
一条戻り橋 京の暦歌 四方の景色
京の大仏っつあん 地下鉄烏丸線の歌
ポスター 前回の記事 ➡ ポスター0048 藤森神社 秋季大祭
川柳
新しい飲み屋情報妻に聞き /pon