高い方 小澤蘆庵翁墓 明治28年
低い方 左 白幽子 将軍地蔵 右 阪本道
平成29年7月8日 画像2枚追加
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五七五
老い二人何はともあれ豆ご飯 /西田
ことわざ
水を得た魚のよう
什宝に延喜8年(908)在銘の黒鉾があり。創建はそれ以前。
もと白川村に西、字久保田宮の前にあったが、文明年間(1469~87)足利義政の発願により、現在の地に移したと伝わる。近世は照高院門主の崇敬を得、道晃法親王染筆の「天神宮」としるした額を賜った。文政13年(1830)社殿を焼失し、現在のはその後の再建である。天神橋は白川に架かる石橋をいう。明治27年(1984)につくられた眼鏡橋で、アーチ式の石橋になっている。
例祭は毎年10月20日に行われる。23日出輿祭当日には、昔から伝わる古式の儀が行われる。これを「高盛御供」といい、3つのカワラケに野菜の煮物をうず高く盛、正装した白川女によって神前に奉納される。
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清凉寺・嵯峨釈迦堂 狂言堂・然上人・嵯峨天皇・壇林皇后・聖徳太子・法然上人
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五七五
昨日ひとつ今日はふたつの忘れ物 /仁多
ことわざ
風前の灯火
南禅寺 と 松ヶ崎 をつなぐ 琵琶湖疏水
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五七五
酒五勺明日へつながるエネルギー /寺田
ことわざ
酒は百薬の長
標識 弥勒院・銀閣寺 法然院・霊鑑寺 大豊神社・若王子神社
ここは 哲学の道 川は 疏水 左へ水が流れている
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五七五
ポケモンで 希望者増えた 外回り /サラリーマン川柳
ことわざ
渡りに舟
住蓮山と号し、浄土宗西山派禅林寺に属したが、今は単立寺院となっている
浄土禮讃根元地 圓光大師霊場
明治初期の儒者、葵園中沼了三の墓は、門内左手にある。
現在地より東南200m位、鹿ケ谷の山上に、法然上人の如法念仏の道場があって、念仏声明に巧みな上人の弟子住蓮房・安楽房の二僧が住んでいた。たまたま後鳥羽上皇の女房松虫・鈴虫の二人が、二僧の説法に感化され、ひそかに宮中を抜け出て落飾し、尼となった。これを知った上皇は立腹され、二僧を捕えて斬罪に処し、その師法然も土佐国に配流させられた。承元の法難である。それからこの道場は長く荒廃していたが、江戸中期の延宝9年(1681)二僧の菩提を弔うため、現在の地に伽藍を建てたのが当寺の起こり。茅葺の門をくぐると、境内右手に住蓮・安楽の五輪石塔二基がある。境内山林中には松虫・鈴虫の五輪の小石塔二基がある。後世につくられた供養塔である。本堂には本尊阿弥陀三尊像を安置し、その傍らに鈴虫・松虫の坐像および法然上人張子の像を安置する。
洛東12番くあん世音
明治4年8月27日
福井・・・
志ゝケ谷 安楽寺
塀
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寺院中0067 誓願寺 浄土宗西山深草派 H28.5.9画像追加
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五七五
七転び八起きが出来ず苦笑い /寺田
ことわざ
諦めは心の養生