アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

道標伏0141  戊辰役戦場址

2017年11月20日 11時26分07秒 | 道標

 

この石標は,戊辰役東軍戦死者埋骨地南の堤防上にあったものが現地に移されたもので,戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の跡を示すものである。慶応4(1868)年正月3日夕方に鳥羽伏見戦が勃発,次第に淀方面に主戦場を移した。5日この附近は幕府軍砲兵の陣地となり,官軍来攻に備えた。官軍の総攻撃に幕府軍が応戦して激戦となり,多数の戦死者を出し,幕府軍は納所から敗走した。

是南従石清水八幡宮一里

   是北従城南離宮一里至 

昭和三年春京都三宅安兵衛遺志

 戊辰役戦場址

 

関連記事 ➡   三宅安兵衛の道標

           関連地区  戊辰戦争 ・戊辰役 

道標 前回の記事 ➡ 道標0140  納所村 道路元標

五七五

半分は信じています神頼み /寺田

ことわざ

柳に風

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寺院伏0410 安楽寺 浄土真宗本願寺派

2017年11月20日 06時47分37秒 | 寺院

 

 

寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0409 念沸寺 浄土宗捨世派

五七五

ただひと言ご免と言えば済む話 /喜久永

ことわざ

狐の嫁入り

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井戸ポンプ伏017  淀 北城堀 町

2017年11月19日 19時46分06秒 | まち歩き

 

ちょっと 古いタイプのようです

平成29年11月11日 には撤去されていました。

関連記事  ➡  各所の 手押し井戸ポンプ

五七五

ゴキブリが出たときだけは頼られる /木口

ことわざ

遠火で手を焙る

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蔵のある風景伏0361回  淀・北城堀町 付近

2017年11月19日 10時59分30秒 | 蔵のある風景

 

蔵のある風景 前回の記事 ➡  蔵のある風景下0360回 八条御前通 付近

五七五

秋気澄む気球まつすぐ上りけり /南

ことわざ

見猿 聞か猿 言わ猿


まち歩き伏0658 淀の見どころを知らせる店

2017年11月19日 05時46分29秒 | まち歩き

いろいろ書かれています

秀吉 淀君ゆかりの地  今より428年前 天正10年 

淀姫様が この掘り割りで 春 夏 秋 舟あそびしたそうな

古淀城薬師堂跡  淀水車

よど神社

淀の津

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き伏0657 五番ノ橋  明治の石橋だ

五七五

マグカップ一息入れる家族の和 /長谷川

ことわざ

五臓六腑に沁みわたる

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寺院伏0409 念沸寺 浄土宗捨世派

2017年11月18日 19時02分08秒 | 寺院

 

多くの古仏を安置する

寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0408 妙教寺 淀古城址 戊辰役東軍戦死者碑 木村久夫碑

五七五

残り香よ なぜか落ち着く父母の墓 /川中

ことわざ

肌に粟を生ず

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寺院伏0408 妙教寺 淀古城址 戊辰役東軍戦死者碑 木村久夫碑

2017年11月18日 09時31分58秒 | 寺院

 

納所集落の真ん中に法華宗の妙教寺がある。

日孝上人を開山とする法華宗真門流の寺。寛永3年(1626)、淀城主松平定綱が寺地を寄進し、淀城の守りとしたと伝える。

淀城の守りとなっていた。鳥羽伏見の戦いのさい大砲の弾痕が本堂の柱に残り、そのおり戦死した幕軍の碑が建てられている。この地は室町末期の元亀元年(1570~73)、三好長慶の臣、岩城左通が城をかまえた所といわれ、境内南の低地が深い溝となっているのは、そのときの壕堀の址と伝える。

 

史跡

淀古城址 此所は戦国時代の始め細川管領家が築城し薬師寺与一岩成左通 淀君らの居城となった淀古城の址である。

戊辰役砲弾貫通跡

慶應4年正月4日戊申役の際東軍砲弾が飛来し本堂を貫通したその弾痕がある。

 

 

木村久夫君は京都大学在学中学徒兵に○○れ終戦後シンガポールにて逃げ去った○○責任を負わされ無惨にも絞首刑と○○若い命を絶たれた時昭和21年5月22日28歳この歌は刑執行確定後の作である 木村君の遺書全文は「きけわだつみの声」に収録されている  必読

音もなく我より

去りしものなれど

書きて偲ひぬ

明日といふ

字を

木村久夫

 

 

戊辰之役東軍戦死者之碑

戦死者埋骨地三所一在下鳥羽村悲願寺墓地一

 納所村愛宕茶屋堤防一八番楳木

子爵榎本武揚書

明治40年 京都十七日会建

この碑は、慶応4(1868)年正月に勃発した鳥羽伏見戦の東軍(幕府側)戦死者の招魂碑である。

  明治40年に東軍戦死者四十年祭典が京都十七日会により挙行され,あわせて15基の碑が建立された。十七日会は徳川家康の命日である十七日(元和2年4月17日)にちなんだ,徳川家恩顧者の会である。

  碑はふたつのカテゴリーにわけて建立された。一は「戊辰之役東軍戦死者之碑」と刻んだ3基の招魂碑(この碑もそのひとつ)。一は「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻んだ12基の碑(墓石)である。それぞれのカテゴリー内の碑は同一形式で,刻まれた文字も表題部は同じ。招魂碑は榎本武揚書。

  3基の招魂碑に記された埋骨地碑は,伏見町悟真寺内招魂碑が同寺内2か所。納所村妙教寺内招魂碑が悲願寺墓地・愛宕茶屋・八番楳木。淀町長円寺相招魂碑が同寺内・光明寺墓地・大専寺・文相寺・東運寺・八幡番賀。

  上記の埋骨地碑を合計すると11基になるが,長円寺内には2基の埋骨地碑が現存するから,所在は10か所で碑は12基ということになる。招魂碑・埋骨地碑計15基は百年以上たった現在もすべて当初の建立地,あるいはその近辺に残存し,希有な例として注目できる。

  なお,この建碑事業の経緯は京都十七日会編『戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書』(1907年同会刊)に詳しい。

 

平成29年11月6日撮影

 

妙見堂

関連記事 ➡   関連0007  戊辰戦争 ・戊辰役

寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0407 法行寺 浄土真宗本願寺派

五七五

ただいまも言わずに落葉差し出しぬ /大川

ことわざ

畳の上の水練

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まち歩き伏0657 五番ノ橋  明治の石橋だ

2017年11月17日 23時28分39秒 | まち歩き

 

 

石橋

五番ノ橋

 

明治45年6月  の竣工か

関連記事 ➡  関連0006 石橋

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0656 京阪電車 淀駅前の水車

五七五

もう一杯自分で許すハレの宵 /小澤

ことわざ

背に腹はかえられぬ

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まとめ049 関連0006 石橋

2017年11月17日 06時16分47秒 | テーマ数々

石橋

1  0645 疏水分流  石橋だ

2 まち歩き東 七条大橋  鴨川に架かる石橋

3 まち歩き編集   石橋 報恩寺にかかる橋  1602年

4 まち歩き編集 石橋 七条大橋

5 まち歩き東0189  七条大橋の石橋の眺め

6 正面橋  高瀬川にかかる 昭和4年竣工

7 堀川第一橋  石橋です

8 まち歩き伏0657 五番ノ橋  明治の石橋だ

9  報恩寺前の石橋 1602年

10  七条大橋

11  堀川第一橋 中立売

12      寺院右0442 妙心寺 勅使門

13  寺院右0442 妙心寺 勅使門


道標0140  納所村 道路元標

2017年11月16日 22時14分46秒 | 道標

道路元標の大きさ・形は一定のようだ  

見慣れてくると すぐ判断できるようにまります

関連記事 ➡   関連0005  道路元標

                     

道標 前回の記事 ➡  道標東0139 動物園  三條通

五七五

膝小僧今日も頼むとなぜて起き /山崎

ことわざ

無い袖は振れぬ

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寺院伏0407 法行寺 浄土真宗本願寺派

2017年11月16日 20時29分28秒 | 寺院

浄土真宗本願寺派

寺院 前回の記事 ➡  寺院左0406 永観堂 境内図

五七五

隠し金よりも確かな芋を掘る /川上

ことわざ

子を視ること親に如かず

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まとめ048 関連0005  道路元標

2017年11月16日 05時58分00秒 | テーマ数々

道路元標

1  道標西0049  淳和天皇御陵  大原野村道路元標 

2  道標中0010 京都市道路元標 

3  道標右0027  花園村 道路元標

4  道標右0037  西院村 道路元標   春日神社で

5  道標向0042  道路元標 向日町 

6  松尾村  道路元標 半分くらい埋もれていました 

7  道標0140  納所村 道路元標

8  道標伏0144  淀町道路元標

9      道標八幡0218 八幡町 道路元標

10  まち歩き1122 青谷村 道路元標

11 神社城陽0241 水度神社 第1鳥居   寺田村・道路元標

12 道標左0317  大原村道路元標

13

14

15

 

 

 

 


石碑伏0139 唐人雁木 旧跡

2017年11月15日 20時54分49秒 | 石碑

 

江戸時代には淀城下からみれば宇治川の対岸で、あいだに淀小橋がかけられていた。宇治川のつけかえ工事で淀小橋がなくなるのは明治の末である。石碑は淀小橋のたもとにあたる場所に建っている。

唐人雁木 旧跡

唐人雁木旧跡  唐の文字がちょっと違うのだが

唐人雁木碑の唐人は朝鮮通信使をさす。朝鮮通信使は江戸時代に徳川将軍の代替わりを祝うために朝鮮から派遣された使節団である。雁木は船着き場の階段。通信使は瀬戸内海を東へ進み、大坂から川舩で淀へ着く。淀小橋のたもとの雁木から上陸し京都へ向かった。文化8年(1811)を最後に朝鮮通信使がとだえ、唐人雁木という名前の意味を知る人が無くなってきた。

平成2年 結成15周年記念 京都淀ライオンズクラブ建立 

  元の石碑は何処にあるんだろう

昭和2年春  再建 三宅安兵衛遺志建立

三宅安兵衛(1842~1920)は京都の帯問屋。息子清治郎(1872~1940)に遺言し、京都府下に400箇所以上の道標などを建てさせた。

納所交差点 石碑は 赤信号の道を少し行き 左側にありました 2本目の電柱

関連記事 ➡  関連0003 朝鮮通信使

石碑前回の記事 ➡ 石碑伏0138 京阪電車 淀駅前 架橋石碑

五七五

深呼吸朝一番のくすりです /村上

ことわざ

画餅に帰す

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ポスター0077 與杼神社 秋季大祭 神輿渡御 

2017年11月15日 14時43分15秒 | 掲示ポスター

與杼(よど)  → 淀

関連記事 ➡  與杼神社

ポスター前回の記事 ➡  東寺の天部像 守りと祈りのかたち 春の特別展 

五七五

失言を拾っていたらきりがない /樋口

ことわざ

地蔵は言わぬがわれ言うな

 


まとめ047 関連0003 朝鮮通信使

2017年11月15日 05時53分08秒 | テーマ数々

朝鮮通信使

1  まち歩き伏0656 京阪電車 淀駅前の水車

2  本能寺

3  本法寺  光悦・長谷川等伯 ゆかりの寺

4  本実院  日蓮宗  江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

5  松林院 日蓮宗 江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

6  松陽院日蓮宗 江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

7  本圀寺跡 石碑

8  寺院下0292  久成院  日蓮宗  江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

9  石碑伏0139 唐人雁木 旧跡

10 史跡伏022 淀城跡