万延 元年 1860年 徳川将軍 14代家茂3年目
祠 前回の記事 ⇒ 祠八幡047 豊影稲荷大明神
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右 八まん宮山へ これより十六丁
文政二己卯年二月吉日 1819年
左 津の国 そうじ寺
大坂下り船乗場
大坂 孫右衛門町 宮前良順
新町通 亀や□勝
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道標 前回の記事 ⇒ 道標八幡0221 八幡橋 宇治街道 奈良街道 三宅石碑
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泉州堺 神南辺大道心
神南辺道心(かんなべどうしん)の墓は、堺市堺区旭蓮社にある。
神南邊大道心隆光は、江戸時代の人物で俗名を弥兵衛といい、大和国生駒郡神南村の出身である。
河内国布施村あるいは東足代村の鋳物師(いもじ)といわれている。
幼少の頃は、殺傷を好み、鋳物師としての技量は良いが素行は悪く無頼漢であった。
ある時、夢の中に地蔵菩薩が現れ、今後善行を積めば地獄域から救うとのお告げを聞き、弥兵衛は仏門に入った。
諸国を行脚し各地に道標を建て、橋を架け、また多くの地蔵を建立した。
百舌鳥八幡宮境内の道標石「さかい神南邊」(文政8年(1830年)建立)や、高渚寺の千日井場所に岩喜兵衛と建てた水難者の供養碑などがある。
また、京都御室山八十八カ所の標識の再建に尽力し、御室御所から神南邊(かんなべ)と称する許しと道心号を与えられた。
京都の大仏炎上の際には、全国を行脚して寄付を募り、天保7年(1836年)嵯峨御所より錫杖を下賜、また念珠を堺奉行から贈られている。
旭蓮社門前には「塩風呂薬師佛石像 神南邊道心墓 當寺」の石碑が建てられて、墓は、道心座像の下に神南邊大道心墳と記され、本堂に西側に建てられている。
神南辺大道心隆光は江戸後期、泉州堺の住人。放蕩者であったが、仏門に入り、天保12年(1841)に没するまでの約20年間諸国を行脚して道標や石橋を勧請したという。隆光の遺品は堺を中心に約40点を数える。京都では6点が確認されています。
京都市内
3 道標伏0080 霊場 深草毘沙門天 神南辺隆光 京都一周トレイル F23
4 まち歩き右0595 御室八十八ケ所 京都の眺望 道標右0128 神南辺道心
6
和歌山県
8
二宮忠八飛行器工作所跡
この地に、「飛行原理」を世界の誰よりも早く発見した二宮忠八が「玉虫型飛行器」の製作を本格的に取りかかった二宮工作所がありました。
忠八は、慶応2年(1866)、愛媛県八幡浜市に生まれ、少年時代には、自身考案の忠八凧がよく揚がり評判でした。
明治22年(1889) 烏の翼を見て「飛行原理」を発見
明治24年(1891) 「鳥型飛行器」の飛行実験に成功
明治26年(1893) 「玉虫型飛行器」の模型を完成
明治33年(1900) 石油発動機があった精米所の当地を買取り、飛行器製作を開始 この付近の木津川には広い砂原があり、飛行器の完成時に試験飛行を予定していました。
明治36年(1903) アメリカのライト兄弟による有人飛行実験の成功を知り、製作を断念
その後、飛行機は急速な進歩を遂げましたが、忠八は飛行機の草創期に事故によって不慮の死を遂げた多くの人々に心を痛め、八幡土井の邸内に飛行神社を創建し、航空界の安全と航空殉職者の慰霊に奉仕しました。飛行神社に隣接する資料館には「鳥型飛行器」「玉虫型飛行器」の模型等が展示されています。
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き八幡1042 大楠
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平成29年12月 撮影
まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き八幡1041 淀屋辰五郎 旧邸 三宅石碑
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願主 神南辺
文政13年 1830年
千度石
関連記事 ➡ 関連記事0015 神南辺道心
まち歩き右0595 御室八十八ケ所 京都の眺望 道標右0128 神南辺道心
道標 前回の記事 ➡ 道標右0128 神南辺道心
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑八幡0200 史蹟 八幡行宮址 他に道標
この地に、「飛行原理」を世界の誰よりも早く発見した二宮忠八が「玉虫型飛行器」の製作を本格的に取りかかった二宮工作所がありました。
忠八は、慶応2年(1866)、愛媛県八幡浜市に生まれ、少年時代には、自身考案の忠八凧がよく揚がり評判でした。
明治22年(1889) 烏の翼を見て「飛行原理」を発見
明治24年(1891) 「鳥型飛行器」の飛行実験に成功
明治26年(1893) 「玉虫型飛行器」の模型を完成
明治33年(1900) 石油発動機があった精米所の当地を買取り、飛行器製作を開始 この付近の木津川には広い砂原があり、飛行器の完成時に試験飛行を予定していました。
明治36年(1903) アメリカのライト兄弟による有人飛行実験の成功を知り、製作を断念
その後、飛行機は急速な進歩を遂げましたが、忠八は飛行機の草創期に事故によって不慮の死を遂げた多くの人々に心を痛め、八幡土井の邸内に飛行神社を創建し、航空界の安全と航空殉職者の慰霊に奉仕しました。飛行神社に隣接する資料館には「鳥型飛行器」「玉虫型飛行器」の模型等が展示されています。
関連記事 ⇒ まち歩き八幡1043 二宮忠八 飛行器工作所跡
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史蹟 八幡行宮址
史蹟名勝天然記念物保存法に依り
昭和十五年八月文部大臣指定
史蹟境界
西 左京
南 右 うぢ
東
北 左 ・・治
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑八幡0199 下馬 自是到寶前 2基
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右奈良街道 川口 五丁 上津屋 一里 木津 五里
下奈良 二〇丁 岩田 一里六丁 奈良 六里半
上奈良 二十五丁 大住 二里
内里 三十丁 田辺 二里半
昭和三年春 京都 三宅安兵衛依遺志建之
左宇治街道 奈良濱 廿二丁 宇治新田 二里
下津屋 廿五丁 宇治町 二里半
佐山 三十丁
八幡橋 右 志水町 十二丁
左 橋本町 十一丁
道標前回の記事 ⇒ 道標八幡0220 金剛律寺故趾 正平役園殿口古戦場 三宅石碑2基
関連記事 ⇒ 三宅安兵衛の道標
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1 八幡
2 男山
3 石清水八幡宮
石清水八幡宮 (頓宮 第一鳥居 筒井)
4 神応寺
5 飛行神社
6 薬薗寺 重要文化財 三宅石碑
7 法園寺 重要文化財
8 頼風塚・女郎花塚
9 善法律寺
10 正法寺
11 松花堂
12 八角堂
13 東・西車塚古墳
14 円福寺
15 洞ヶ峠
16 西山廃寺(足立寺)址
17 内神社
18 王塚古墳
19 御園神社
20 奈良御園址
21 石田神社
22 伊佐家住宅
23 慰霊碑
24 津屋橋 流れ橋
25 やわた の 走井餅
26 安居橋(あんごばし)
27 安居橋 歌碑
30 本妙寺 三宅石碑2本
31 東高野街道
33 浄泉寺
34 三宅石碑
35 智善寺
36 世音寺 浄土宗
39 征露 ・魂 明治38年
40 天満宮 愛宕灯籠 御大典
41 正念寺 浄土宗
42 大藤神社 付近
44 念佛寺 浄土宗 三宅石碑
45 正福寺 浄土宗
46 小野頼風塚 三宅石碑
48 下馬 自是到寶前 2基
51 常昌禅院
52 八幡 子安地蔵尊
53 大楠
54 大坂下り船乗場
55 豊影稲荷大明神
56 金刀比羅
58 柳谷 わたし場
59 水嫌地蔵尊
60 正満寺 浄土真宗本願寺派
61 防火用水桶
62 西遊寺 浄土宗
63 山崎等 三宅石板碑
69 南岩倉 三宅石碑
72 猿田彦神社
73 稲荷神社
75 豊蔵坊信海墓 三宅石碑
76 茶臼山古墳跡 三宅石碑
77 弁財天
78 谷不動堂道
80 引窓南邸跡 三宅石碑
82 安居橋 三宅石碑
84 単傳菴・らくがき寺 臨済宗妙心寺派 縁結び・比翼地蔵尊
85 後村上天皇行宮 趾
86 大きい 地蔵尊 です
87 春日神社
89 法園寺 三宅碑
90 九品寺 三宅石碑
91 壁のつる
下馬
自是到寶前七丁
石碑 前回の記事 ⇒ 石碑八幡0198 征露 ・魂 明治38年
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