Fさんの葬儀に参列する。享年55歳ということである。
高校卒業後地元の信用金庫などでOLとして働いていたという。25歳のときにテレビを見ていてなんとなく目がチカチカすると感じて病院にいくが、難病で治療できないといわれそのまま失明してしまう。おそらくそのショックもあったのだろう。精神的にも病気を抱えてしまう。
失職後も入退院を繰り返していたようだが、5年前からうちに来ることになった。軽作業ではあるが、毎日ちゃんと仕事をするまじめな人だった。中途失明の方なので、歩行が得意ではなかったが、ゆっくりゆっくり確かめながら移動する姿が印象的だった。僕とはよく話をするほうで、変わったことがあると、少し大げさに「へえー」っと声をあげて驚いたり、感心したりするのであった。
お兄さんが挨拶をされていたが嗚咽で言葉が聞き取れなくなってしまう。時々妹さんが面会に来られる程度しかご家族との面識がなかったが、転勤等で地元に帰れず、心に引っかかったまま距離を埋めることができなかったのかもしれない。不憫でならなかったという言葉は、お兄さんの複雑な心境そのままなのであろう。
Fさんは団体旅行に行くことになっていて、夜の宴会でカラオケを歌うつもりで新曲を練習していたのだという。その前日にあっさりと亡くなってしまった。人の一生がこんなに儚いとは…。
僕は出張中で死に目に会うことはできなかった。いまだに釈然としないが、人間というのはつくづく不条理なものだと思わずにいられない。こうした無常観は、真理ではあるのかもしれないけれど、割り切れないのも人間というものだろう。
死後の世界は信じていないけれど、ご冥福を祈らずにいられない。合掌。
高校卒業後地元の信用金庫などでOLとして働いていたという。25歳のときにテレビを見ていてなんとなく目がチカチカすると感じて病院にいくが、難病で治療できないといわれそのまま失明してしまう。おそらくそのショックもあったのだろう。精神的にも病気を抱えてしまう。
失職後も入退院を繰り返していたようだが、5年前からうちに来ることになった。軽作業ではあるが、毎日ちゃんと仕事をするまじめな人だった。中途失明の方なので、歩行が得意ではなかったが、ゆっくりゆっくり確かめながら移動する姿が印象的だった。僕とはよく話をするほうで、変わったことがあると、少し大げさに「へえー」っと声をあげて驚いたり、感心したりするのであった。
お兄さんが挨拶をされていたが嗚咽で言葉が聞き取れなくなってしまう。時々妹さんが面会に来られる程度しかご家族との面識がなかったが、転勤等で地元に帰れず、心に引っかかったまま距離を埋めることができなかったのかもしれない。不憫でならなかったという言葉は、お兄さんの複雑な心境そのままなのであろう。
Fさんは団体旅行に行くことになっていて、夜の宴会でカラオケを歌うつもりで新曲を練習していたのだという。その前日にあっさりと亡くなってしまった。人の一生がこんなに儚いとは…。
僕は出張中で死に目に会うことはできなかった。いまだに釈然としないが、人間というのはつくづく不条理なものだと思わずにいられない。こうした無常観は、真理ではあるのかもしれないけれど、割り切れないのも人間というものだろう。
死後の世界は信じていないけれど、ご冥福を祈らずにいられない。合掌。