カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

少食家

2006-11-16 | 
 昼飯は三色寿司という寿司飯だった。散らし寿司のなりそこないのようなもので丼に入っている。見た目より量があったようで、小鉢をパスして吸い物だけで食べた。
 前で食べていたKゾウさんの箸が止まっている。どうしたのか尋ねると、苦しいからじっとしているのだという。少しでも満腹になると苦しくなるのだという。もう少しで食べ終わるので我慢して食べていたら、苦しくなって動けなくなってしまったようだ。満腹になるより空腹でつらいほうがまだましだという。まったく理解できないことだが、本心なのだろう。
 人の体質というのは不思議なものだと思う。つれあいのお母さんは、ほとんど食事をとらないのだという。超がつくほど食が細いようだ。三食とることはまれなようだし、食事の時に二三口箸を動かして終わってしまうのだという。それでもちゃんと動いて生きているのだから不思議である。カロリーを上手に燃焼して体を動かしているのだろう。ある意味で効率がいいということもいえそうである。エネルギーを最小限しか必要としないのだから、災害などの避難生活にも有利かもしれない。
考えてみると、腹一杯というのも味覚のひとつという感じもする。学生時代は腹一杯になることがなにより嬉しかった。諫早のドラゴン食堂のようなところが理想的な食事である。多少の難があっても量が補ってくれる。しかしながら、そういう満腹感自体が苦痛であるなら、食事の楽しみが半減するのではないか。
 子供のころに近所の池田地区にお好み焼きとたこ焼き(確か魚屋の近辺だった)の店があって、どういうわけかたらふく食って家に帰って戻したことがある。ものすごい胸やけになって、本当に苦しかった。その時に母から、こうなるから大食い競争などには参加してはならない、というような説教を受けた。確かにその通りかもしれないと思ったので、テレビのフードファイターなどを見ると、その次元の違いにも驚くが、親不孝な人たちではないかと勝手に思ってしまう。彼等が僕と同じように親から説教を受けているはずもないのだから筋違いなのだが、悪い人たちという印象がぬぐえない。
 まあ、しかしなんとなく面白いのも確かで、たくさん食べるというのは、それなりに楽しいのではないだろうか。わんこ蕎麦などは、参加しているのは苦痛だけれど、見ている分にはなかなか楽しい。多少いじめっぽいところはあるが、まじめな人ほど目を白黒させて食べている。落語の「うわばみ」でも蕎麦を食っていたようだし、蕎麦なら食いすぎてもいいのかもしれない。
 話を戻すと、僕はお好み焼きやたこ焼きはなんとなく苦手なのだが、恐らく子供の頃のこの胸やけに原因があるような気がする。苦手な食べ物を作ってしまうのだから、食いすぎはやはり罪でもあろう。
 考えてみると、あのときのたこ焼きのような苦痛がKゾウさんにはあるのかもしれない。そういうことであると、本当にお気の毒な気がしてならない。
 晩御飯には何を食べるのかと聞いたら、食パンをひとつかじって酒を飲んでいるんだそうだ。なるほど経済的である。食べ物がいらなければ、貯金もできそうである。いや、彼が貯金に精を出しているのかは不明だが、有利であることは間違いなかろう。少食家という人たちがなんとなく羨ましいような気もしてきた。太りようがないというのは、それだけも羨望に値する。人は見た目ではないというが、日本人は見た目を重視する。やはり生存上有利な存在なのではないだろうか。
コメント
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