カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

案内看板を無視する

2006-11-19 | 雑記
 サッカーの試合のため、島原の百花台公園へ行かねばならなかった。僕は何度か行ったことがあるような気がするので、K村君のお隣でナビゲーターである。
 10年程前には島原半島の山の中には仕事関係で何度も行ったことがある。ほとんど道しるべとかはなくても、電話で大体の感じを聞いて出かけたものである。それでもそんなに間違うことはなかった。こんなにさびしい道で不安だなあと思っても、人は住んでいるものである。僕の都合で目的地は決められない。そんな風に思ったものだ。
 僕は知らない場所で目的地を探すのは上手いほうだと勝手に信じていたが、最近は鼻が利かなくなっているのかもしれない。ちょっと前にも長崎のうどん屋「とも也」は見つけられなかった(まあ、時間もなかったのだが…)。出張中も時間があると歩いて場所を探すが、地図などを頼りにしなくとも以前は勘が働いたものだが、今は地図がなければどうにもならない。車の旅であっても、なんだかナビゲーションがなければ不安になることも多いような気がする。文明の利器は、人の能力を退化させるのかもしれない。
 まあしかし今回はかなり僕が悪い。案内の看板が出ていて方向は記されているにもかかわらず、どんどん違う道を行くように指示してしまった。なんだか以前来たときと違うような気がする。ただそれだけで、看板のほうを間違いと断じてしまった。
冷静になって考えてみると、看板を無視するほうがどうにもおかしな判断である。目的地に導くために看板は設置されているわけで、自分の感じと違うからといって、勝手に間違っていると主張しても、どうにもならないものはどうにもならない。
 散々K村君にも嫌味を言われて、言い訳も苦しい。ただ、勘違いしていたとしか言いようがない。間違いましたといってるんだからもういいじゃないか。開き直って態度も悪い。
 実は、こういう感じのことはけっこう繰り返しているような気もする。うすうす気づいていたが、僕の性格なのかもしれない。間違っているとほとんどわかっている場合でも、何とかならないかと理由を探してしまう。負けを認めたくないのだろうか。
 少し時間がたって、素直に反省する気持ちになると、どうしてそんなに意地を張っていたのか自分でも不思議なのだが、意地を張り出すと張り通すという強引なところがあるようである。こちらの言葉でドツボにはまるというやつだが、ドツボにはまってももがき通してしまう。まことに見苦しい。本当に困ったものだ。これでは自分のプレーのミスを認めないTきちゃんと同類である。
 そういうわけで苦労して会場には着くことができました。試合は助っ人君達のおかげで体面を保つという感じで、島原のお仲間が腐るのも申し訳ない限りである。そういう本心から悔しい人が、結果的には伸びる人だと僕は思う。選手層を厚くするか、練習を重ねるしか方法はないんだが、やはりロートルが立てるステージを探すことのほうが必要な感じもする。思えば全体のレベル自体もずいぶん高くなっているのではないか。年をとるといろんなことが感慨深い。次の鹿島戦目指して基礎体力を何とかしよう。
 帰って風呂に入ったら、やっぱりビールを飲んじゃってダウンしてしまった。松原くんちは失礼してしまって、なんだか申し訳ありませんでした。みなさんお疲れ様でした。
コメント (2)
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