ひどい腰痛である。痛いのは左側だけ。筋肉がひどく張っていて、背中から臀部まで筋状に痛みがある。体を曲げたり、坂道や階段などを歩くのがつらい。靴下は膝を目の前にしてまっすぐの姿勢では、つまり通常やっているように履くことが出来ない。ほぼぎっくり腰というヤツである。
最初は内臓の方に痛みがあるのではないかと不安があったけれど、外側の筋肉の方だけがひどいことになっているようだ。安心半分、これからの生活の不安半分。
帯広からの帰りの飛行機から痛み出したので、これから益々ひどくなるのか、はたして快方に向うのか良く分からない。
朝には散歩にでてみたが、普段の4分の1程度で断念して帰ることにした。消費カロリーの部門では平均値が目的まで達していない。また、月初めでランキングも出遅れるのが気になる。まったくもって非常に残念である。
しかしながらこのままでいいということには不安の方が大きい。生活に支障が出る程度に苦痛なので、やはり診てもらうことにした。
ちょうど長崎へ議員懇談会へ行く前だったので、待たせてしまって申し訳なかった。しかしながら、やはり診てもらったというだけで、気分的にもだいぶ楽になったような気がする。実際には痛みが続いていたけれど、表面的にはそれほど酷いようには見えなかったのではないか。もちろん、無理に隠しているわけではない。分からなければそれでいい、という程度に分からなければいいと思うだけである。
さて、JC出身議員さんとの懇談会である。割合活発に意見が聞けて、なかなか良かったのではないか。K子知事と同席もでき、率直な話を聞けたことも収穫であった。
組織としての見解と僕の意見は別だし、こういう席だから突っ込んで、あぶない話も勇気を持って話してくださったということもあろうから、ブログで一方的に反論するのはフェアではない愚劣な行為だと思う。しかしその愚劣な行為は僕のような愚劣な人間だから出来るのであるから言わせてもらうと、政治家というのはやっぱりつまらないものだな、と正直に思った。
特に公共事業論は、発展途上国のケインズ政策ではないのだから、長崎が国費を取れればいいという問題なのでは根本的に違うと思う。もちろん公共事業がないのは特定の業界にとっては大変につらいことだろう。しかし、景気というものを公共投資でテコ入れするということだけに政治家が終始した結果が現在の日本なのである。県としての政治の立場と、国政というのは厳密には分けるべきだという意見もあろう。しかし、予算を分捕ることだけに長けたものが政治家としての技量だという考えが根本的な問題なのであって、自分達の仕事を棚上げにして組織票を積み上げてきたことが、なにより今の政治の最大の欠点なのである。それが仕事であるなら、政治というのは単なる行政サービス機関である。
これは呉智英の受け売りなのだが、例えば日本がアメリカに統治されるとか、北朝鮮に統治されるという場面を想像してみるといい。本来政治体制というものは、そういう具合に国民に影響を与えるものなのである。もちろん今は平和な時代の政治ということなので、その切実感が欠けているのだろうが、国民が政治に行政サービスを期待しているという時代が、政治家を変な職業にしてしまっているともいえる。
長崎をどうしたい、地域をどうしたいをもっと表に出していうべきだという人もいたが、それはそっくりお返ししたい言葉である。そこを語れない政治家は、職業換えするべきであろう。本来マスコミに揚げ足ばかり取られるような政治家のほうが、実は実直で求められるべき姿なのではないかと、僕は極端に考えてしまう。吉田茂なんかある意味で国民をバカにしていたようだけれど、それはそれでいいじゃないかと個人的には思っている。
昔の政治家が良くて今が駄目だという意味ではない。今の政治家のほうが相対的に難しい立場におかれているし、面白いことも少ない世の中にわざわざ苦労を買って出るような行為であることは尊敬には値する。しかしもう時代は変わってしまったのだ。昔の政治家は、退場する時期なのではあるまいか。新しいというと語弊があるが、時期に合わないことは、こと政治においては致命傷という気がする。率直に言って大変に失礼であるが、これでは正直に僕の期待を付託するにふさわしいとは到底思えなかったのであった。逆説的にそれが分かったというのは、大変に収穫だったということである。
そういうわけで、政治理念はたぶんぜんぜん違うが、K村君がんばってください。
最初は内臓の方に痛みがあるのではないかと不安があったけれど、外側の筋肉の方だけがひどいことになっているようだ。安心半分、これからの生活の不安半分。
帯広からの帰りの飛行機から痛み出したので、これから益々ひどくなるのか、はたして快方に向うのか良く分からない。
朝には散歩にでてみたが、普段の4分の1程度で断念して帰ることにした。消費カロリーの部門では平均値が目的まで達していない。また、月初めでランキングも出遅れるのが気になる。まったくもって非常に残念である。
しかしながらこのままでいいということには不安の方が大きい。生活に支障が出る程度に苦痛なので、やはり診てもらうことにした。
ちょうど長崎へ議員懇談会へ行く前だったので、待たせてしまって申し訳なかった。しかしながら、やはり診てもらったというだけで、気分的にもだいぶ楽になったような気がする。実際には痛みが続いていたけれど、表面的にはそれほど酷いようには見えなかったのではないか。もちろん、無理に隠しているわけではない。分からなければそれでいい、という程度に分からなければいいと思うだけである。
さて、JC出身議員さんとの懇談会である。割合活発に意見が聞けて、なかなか良かったのではないか。K子知事と同席もでき、率直な話を聞けたことも収穫であった。
組織としての見解と僕の意見は別だし、こういう席だから突っ込んで、あぶない話も勇気を持って話してくださったということもあろうから、ブログで一方的に反論するのはフェアではない愚劣な行為だと思う。しかしその愚劣な行為は僕のような愚劣な人間だから出来るのであるから言わせてもらうと、政治家というのはやっぱりつまらないものだな、と正直に思った。
特に公共事業論は、発展途上国のケインズ政策ではないのだから、長崎が国費を取れればいいという問題なのでは根本的に違うと思う。もちろん公共事業がないのは特定の業界にとっては大変につらいことだろう。しかし、景気というものを公共投資でテコ入れするということだけに政治家が終始した結果が現在の日本なのである。県としての政治の立場と、国政というのは厳密には分けるべきだという意見もあろう。しかし、予算を分捕ることだけに長けたものが政治家としての技量だという考えが根本的な問題なのであって、自分達の仕事を棚上げにして組織票を積み上げてきたことが、なにより今の政治の最大の欠点なのである。それが仕事であるなら、政治というのは単なる行政サービス機関である。
これは呉智英の受け売りなのだが、例えば日本がアメリカに統治されるとか、北朝鮮に統治されるという場面を想像してみるといい。本来政治体制というものは、そういう具合に国民に影響を与えるものなのである。もちろん今は平和な時代の政治ということなので、その切実感が欠けているのだろうが、国民が政治に行政サービスを期待しているという時代が、政治家を変な職業にしてしまっているともいえる。
長崎をどうしたい、地域をどうしたいをもっと表に出していうべきだという人もいたが、それはそっくりお返ししたい言葉である。そこを語れない政治家は、職業換えするべきであろう。本来マスコミに揚げ足ばかり取られるような政治家のほうが、実は実直で求められるべき姿なのではないかと、僕は極端に考えてしまう。吉田茂なんかある意味で国民をバカにしていたようだけれど、それはそれでいいじゃないかと個人的には思っている。
昔の政治家が良くて今が駄目だという意味ではない。今の政治家のほうが相対的に難しい立場におかれているし、面白いことも少ない世の中にわざわざ苦労を買って出るような行為であることは尊敬には値する。しかしもう時代は変わってしまったのだ。昔の政治家は、退場する時期なのではあるまいか。新しいというと語弊があるが、時期に合わないことは、こと政治においては致命傷という気がする。率直に言って大変に失礼であるが、これでは正直に僕の期待を付託するにふさわしいとは到底思えなかったのであった。逆説的にそれが分かったというのは、大変に収穫だったということである。
そういうわけで、政治理念はたぶんぜんぜん違うが、K村君がんばってください。