カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ねじれ国会こそ正常である

2008-01-30 | 時事
 どうも風邪気味である。喉が痛いしくしゃみはでるし鼻水もたれてくる。ついでに微熱である。薬は飲んだ。車を運転していて眠気があって格闘していたが、薬のせいなのだろうか。目的地には無事に着き、そこでそういえば薬を飲んだことを思い出した。乗る前に思い出すと少しは気をつけたかもしれないし、関係なかったかもしれない。今度車に乗るときは気をつけてみよう。

 ガードレールに民主党の代議士のポスターが張ってある。それとガソリン26円下げとあるのだが、報道などは25円という数字が大勢だとおもう。この一円の差はなんだろうか。本当は26円下がるのだろうか。切り上げ切り下げということなのか。
今日の展開でつなぎ法案というのが決まるそうだが、結局暫定という税率が10年も延長(今までもされていたにもかかわらず)されてしまうという感覚はどうなんだろうと思う。憲法も法律の基でありながらどうとでも解釈が可能が社会では、これは当たり前ということなんだろうか。言葉のセンスがまるで違う世界のようだ。十年前はひと昔であって暫定的(言い換えれば一時的)期間だとは言わないのである。
庶民が減税を反対するはずは無いが、だからといって勝手に民意を曲げるという感覚もやはりこの国の姿である。選挙の結果が一部の利益で成り立っているという証明になっているということである。この国の国民レベルがそれだけ低いということだ。しかし実際を考えて見るとコマということでは自民党が強かったりするわけで、民主党その他が駄目だから消去法でこうなってしまうのだという考え方もあろう。
 そもそも政策で選択が出来ない状況が続いていて、こういう状況こそ選挙をして欲しい時期には違いないが、それすら選択権が無い。システムがおかしいと考えるべきところだろう。
 国会の混乱が続いていて国民にとって良くない状況だといっている人がいるけれど、今の状況は国民にとってかえっていいことではないかとも思う。何しろ政治がダイレクトに関連してくる。国民が初めて政治参加している状況に近いのではないか。ねじれ国会は問題だと言う理屈はどういう神経の人がいっているのか分からないが、今の状況は非常にまともだと思う。二大政党がどうだという議論とは僕の意見は微妙に違うのだが、どの道いつもまともに議論されないで結果だけ押し付けられてきた現実を考えて見ると、今は本来の政治のあるべき姿であるという気がするのである。少なくとも多くの人にとって、この国がどうだということを初めてリアルに考えている可能性が高い。そしてそのことが、初めて意見として国会に伝わっている可能性も高いのである。
 画期的な政治の季節。出来れば早く結果を求めないでいつまでもねじれ国会のままでいてくれた方が、国民の直接的な利益になるに違いない。図らずもこのような状況になったお陰で、この国は少しづつ良くなっていくような期待が持てるようになった。物事は勝手に動かされなくなるだけでずいぶんと公正になると思う。
 たとえば勝手に操作できるので社会保険庁も勝手をしたまでだろう。国民には勝手をさせないためにいろいろと操作をするくせに、自分のほうは自由でいたいというのはまさに身勝手である。窓口業務がつらくて退職者が増えて退職金がかさむという状況だそうだが、どこまで甘えたら気が済むのだろう。第一そういう行動を取れる立場の人たちは、単なるサボタージュである。本来なら退職金は無くて当たり前ではないか。もっと追い詰めて正常に近くしていくことが、今後とも必要であると思う。
 世の中がクリアになっていくことで、次世代にもはじめて胸を張ってバトンが渡せるというものだ。まだまだ今のままではとてもじゃないが北朝鮮より少しだけいいという程度である。実際には誰も処罰されないし、ひょっとするともっと悪いかもしれない。本当に目覚めて欲しいと切に思うところである。
コメント
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