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息子たちが念願のWiiを買って遊んでいる。既に彼らの友人たちは持っているらしく、一番後発組なのだが、Wiiを買ったというと「早っ」と言われたという。どういう意味かというと、買いたいという思いが強くなってから購入する期間のことでは、早く購入できたということらしい。どこの家庭でも子供が欲しいといいだして、それなりの期間の葛藤があるらしいことが分かる。我が家では、すでに子供たちの方がそれなりの資金力を持っており、親としてはどの時点で足りない分の資金援助をすべきかというものが購入までの期間を決定する最大要因となる。僕は基本的に子供の要求に甘い(つまり意志が弱いというか、無責任なのかもしれない)ので、夏休みの宿題がすべて済んだら買ってもいいのではないかと考えていた。しかし上の子の試験の日程のことなどもあり、しかるべき時期は今に持ち越されることになったらしい(決定権は母親である)。非常にまっとうな判断だと思われるが、そのように決定がなされた後にも、毎日のようにWiiを買う騒動は続き、僕としては任天堂という罪深い会社を少なからず恨んだ。マリナーズを買収した勢いで、そのまま米国の会社になればよかったのである。
しかしながらWiiが我が家にやってきた影響は少なくなく、さっそく居間のテレビは占拠されてしまった。そういえば今までは携帯用のゲーム機を中心に遊んでいたので、このようにおおがかりに居間を占拠するという感覚に乏しかった。いや、いつも居間にいてソファーに寝そべったりしてゲームをしていたので、日常風景としてはそんなに変わりがないはずなのだけれど、テレビの占拠という行動はそれなりに大きなインパクトがあるということのようだ。いや、今までだってテレビはつけっぱなしでゲームをしていたのだから変わりがないようだけれど、Wiiというゲーム機は、身体の動きを伴って遊ばれるので、テレビの画面のみならず、子供たちの動きまでも目に飛び込んでくることになる。いづれにしても、居間を占拠するインパクトはまさにゲームがウチにやってきたということを激しく主張し、生活スタイルそのものを大きく変えさせる予感のさせられる重大さを匂わせた。
そのようなもろもろとともに、参加型の遊びも多くて、一緒に遊べとうるさいことにもなる。いや、正直に言うと一緒に遊べるというのはこちらとしてもうれしいという感情のわくことも正直なところで、一緒に遊ぶというと、ゲームをするという行為に免罪符を与えてしまうような気もしないではないし(事実そのようにふるまっている)、子供のように上手く操作できないであろう遠慮もあって、ぎこちなく気恥ずかしいのであるが、遊びだすとそれなりに楽しいのは事実であり、いつの間にか力を入れてゲーム機の一部を振り回して興奮したりして、後で少し自己嫌悪に陥る。やはり任天堂は罪深い会社である。
このゲーム機の困ったところは、スポーツをさせるということになってやたらに肩がなどが痛くなることである。下の子は小学生だが、肩を揉めとか腰を揉めとかうるさく要求する。仕方なく揉んでやると、痛いからもう少し考えて(弱く優しく)揉み直せという。そうして何時までも揉ませられることになって、これで親子の関係がよくなるというのだろうかという疑問まで生まれて、確かに僕の方だって肩がこっているわけで、しかし、子供の力で揉んでもらってもちっとも気持ち良くはなかろうということも分かっており、不条理な状態を嘆くことになったりする。重ね重ね罪深い現象を強いるあこぎな会社であるのは任天堂だと思った。