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まあ確かにびっくりしてしまったし、責任論というのが跋扈することもそうであろう。びっくりしたのは理解不能だし、素直に驚かされたからというのがほとんどということだろう。普通ならありえないことが起こってしまった。それもなんともあっけらかんと言う感じというか、タイミングがどうとかいうけれど、あまりにも唐突だ。
しかし、ちょっと冷静に考えてみると、彼のもっとも重大な責務は次の選挙をどうするかということについてのクッションであった(あくまで党内事情だけど)ことは間違いがなく、その間に何か政策的なアイディアがあったのかというと、それは素直に読んで限りなく疑わしい。いや、最初の大連立構想がそれだったということで、それだけだったのに空振りに終わったということで、もうカードは尽きたのかもしれない。しかしそれでも解散権が首相にないのだということがこれで明らかになったわけで、事実上彼は首相ですらなかったということなのであろう。幹事長がいるのに選挙対策委員長というような役職が生まれ、党の四役などということになった時点で、なんかおかしいなあとは思っていたのだけれど、この国のこの党の組織というものは、極めて特殊な集合体であることは間違いがない。なんだか中国共産党みたいだ。まあ、それがアジア的な政治体制ということなのかもしれない。連ドラの篤姫の時代のものを見ても、今の政治と基本的には変わらないように思えるので、アジアの伝統的政治の姿というべきか。
記者会見を見て感じたのは、こういうときでもペーパーなんだなというのが第一だった。不祥事の謝罪会見ということか。質問を受けてから少しやはり言葉が生きてきた感じがして、官房長官の時もそうだったけど、人としてはそんなに悪くない人なんだろうとは思う。しかし、やはり最後の質問に対する「他人事のように」という言葉に激しい怒りを表したところを見るにつけ、自分自身の献身や、あるいは滅私というような立場であったことの葛藤の表れではなかったかと考えてしまうのだった。「あなたとは違うんです」と、それこそどうしてこの記者とは(自分は)違うと断言できたのか。首相という立場において、いかに自分が特殊な苦労を強いられてきたにもかかわらず世間一般の人間の変わらぬ無配慮に対してのいらだちであろうし、やはり、彼なりの最大の仁義を果たす形が(まわりはやはり理解できないにしろ)このような形であるという自負なのであろう。
素直に読むと、やはり次の選挙は限りなく任期満了で行う以外に選択がなかったわけで、事実上今解散したところで、その不確実な未来より少しでもいい材料などないのだから、結局は自分以外の人間にその機会を託すというのが、精一杯の自分なりの誠意ということを言いたいのかもしれない。もちろんそれが世間一般の認識とは大きく違うにせよ、福田さんの考える倫理観ということが言えるだろう。そのような狭い倫理観が、このような世界的にも少なからず影響がある立場にある場合でも決定的に優先されるということが、限りなくムラ的な感じがするにせよ、どの道首相という立場がそのようなものにすぎないということは、逆に永田町では常識なのかもしれず、何か決定的な終焉さえ予感させられたのであった。確かにこれは何かの終わりの象徴であることは間違いがない。後になって考えてみると、この事件はそのメルクマールとして思いだされるのではないかとさえ思う。今までも数多く日本の政治にはそのような閉塞感を味あわされてきたのだけれど、本当にもう先がなくなったのだということが決定的に理解させられたということを考えると、これ以上の演出はなかなかないのかもしれない。
僕はある意味で楽観主義者なので、たとえそれが終わりの絶望の象徴だとしても、変わるんならそれでいいかとも思う。もう誰も期待できない閉塞感なんだという怒りもあろうが、それが日本沈没以後の世界であるのであれば、その世界で生きるより仕方ないではないか。やはり泳ぎは覚えておこうというのが、またしても結論だったりするのだった。