カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

経済の優位性が文化の優位性ではないという当たり前のこと

2009-11-04 | culture

 レヴィ=ストロースって死んだらしいですね。100歳だったとか。合掌。
 子供の頃久米明のアナウンスで「素晴らしい世界旅行」というのがあって、これを楽しみに見ていた。まあ、何の関係もないといえばそれまでだが、学生時代に初めてレヴィ=ストロースを読んで、なんとなく思いだしたものだ。その当時は、まだ平然と「土人」というような表現が自然にあったような気がするが、それは別段差別というか、普通の興味だったように思う。少なくとも子供の僕はそのような感じだったのだが、考えてみると、日本という国のなんとなくの優位性もひょっとしたらあったのかもしれないとは思うのである。
 日本の撮影スタッフが、現地の怪しい食べ物を顔をしかめながらにも口にすると、現地の人は満便の笑顔で喜んだりするのだった。文化の理解は現地の食べ物を食べることなのかもしれない、などと、子供ながらに考えたものだ。
 今だに先進国だとか発展途上国だとかという表現は、自然に使われるものではあるし、別段目くじらをたてることではないとは思うのだけれど、まあ、おかしな表現であることには変わりがない。だから別の言い換えをした方がいいということをいいたいわけではなく、そのような「先進国」に住んでいるらしい僕らのことが滑稽なだけである。
 そんな事を考えるというか、発見するだけも、彼は読まれるべき人なのではないかとは思う。妙に小難しい人から好かれるだけでは、なんとなく不自然な学者なのではないか、と思うのだった。
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これはある意味でつかわれるモデルケースになるのでは

2009-11-04 | 時事
集団自殺に失敗後放置、遺棄容疑
 自分たちは失敗して逃げたということなので、確かに責任は重いとは思うけど…。
 しかし、成功した本人(死んだ人)は自殺しようとしていたんだから、失敗した人たちから助けられたとしたら本望じゃなかった(それでも自殺を認めることにはなるんだけど)ということで、かえって恨まれるだろうし。他に方法がなかったと考えるのもわからないではない。
 うがって考えると、もともと彼一人を殺そうとして共謀したんだとしたら、これは完全犯罪のような気がしないでもない。さらに実は彼は死ぬ気がなくてこのようなストーリーで殺しをもくろんでいたとしたら…。
 結果的に遺棄だけの責任で終わったとしたら、推理作家といわず、これは使えると考える人は出てきそうな気はする。少なくとも、やくざならこれは参考にする事件なのではあるまいか。
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