カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ニュースに飽きる

2010-02-09 | 時事
 早起きしてニュースを見ていると、おんなじことを何度も繰り返して報道している。新聞読んでもおんなじ内容。みんなの関心ってここまで画一的なのかと逆に疑問に感じてしまう。しかしながら単に知ってるニュースに飽きただけの話で、これらはやはり多くの人に知られるべき内容なのだということなんだろうか。
 全然興味の無いニュースばかりだったということではない。キリンとサントリーって、やっぱり一緒になるイメージじゃなかったし、スケールだけじゃなくてもいいんじゃないとは思う。アメフトだって真面目に見れば面白いのだろうし、おそらく莫大な賭け金が動いたことだろう。このあと首をくくる人もいるのかもしれない。
 ああそうか、そういうインサイドのことをもっと知りたいのかもしれない。実際だからどうなんだということは、あんまりニュースで報道するわけにはいかない。ある程度2ちゃん的なところもあるのかもしれないが、そのまんまの薄さじゃ物足りないのだろう。
 しかしながら一方で、このような画一的な選択は、いったい誰の興味なんだろうとやっぱり思う。ニュースを流す時間的制限があるにせよ、もう少し幅があってもいいような気がする。一般的であるようで、かなり偏った選択なんじゃないかという疑問も抜けない。
 今や新聞なんかいらないというような事は言われて久しいにしろ、休刊日明けのニュースの枯渇感というものはあるのかもしれない。結局テレビは聞き流して、じっくり新聞を読むことになる。
 そうではあるが、この新聞であってもニュースは選択され捨てられた上でのものだ。受けての側としたら、自動的に選択してくれないことには、やはり収拾がつかないということはあるのかもしれない。個人的にはニュースをあさるようなところがあるのだが、それはたぶんニュースの中でもさらに珍しいものだから面白味があるというだけのことで、その扱いの侘しさが、さらに哀愁を帯びて楽しいということもあるのだろう。
 耳目を引く大きな事件があると、報道の扱いが小さい面白いものが生まれやすくなる可能性もある。そうであるなら画一的な時間の取り扱いは、かえってそのようなニュースを際立たせてくれる妙薬であるのかも分からない。
コメント
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