カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本当に選択したといえるのか

2010-02-22 | 時事
 知事選の結果を受けて民主党の石井一議員の恫喝的な発言が問題だとするつぶやきが激しくなった。発言内容は「(民主党推薦の議員を選ばないのなら)民主党政権は長崎に対してそれなりの姿勢を示すべきだろう」というものらしい。報道のトーンはどうなのかよく分からないが、確かにそのような表現は問題がありそうに見える。
 しかしながら金子知事が続投を断念した理由は、まさしくそのようなことになっている現実を指していることは明らかであるわけで、恫喝的な発言がどうだということより前に、今後の現実はそのようにならざるを得ないことの方が素直なとらえ方といっていいだろう。そういう状態を選択したのは長崎県民であることは間違いがない。
 自民党時代もそのようなことだったことは経験的に同じなのだが、民主党も自民党と同じであるというのは実に残念だとは思う。結局違う派閥が政権をとったということなのかもしれない。
 二大政党制に期待したのは、そのようなことになっても嫌なら投票で選択できるということだったはずなのだが、(連立で過半数であるにせよ)巨大政党から巨大政党にふれきってしまったというバランスがこのような結果になってしまったのである。
 選挙は水ものといわれるにせよ、来る参議院選で自民党が巻き返すのかというのは、限りなく小さな可能性であるように思われる。問題はどっちにも失望してしまったという現実なのだ。
 選挙が選択肢として機能しなくなったという結果が、今回の選挙というものを表しているような気がしてならない。自民党にもNOのまま、民主党にもそっぽを向いてしまった有権者の票が、思わぬ大差をつけて表わされた。他の選択をしようにも、さらにおかしい顔ぶれしか見当たらなかったので、こうならざるを得なかったのだ。
 現在の民主党政権には期待できる政策がほとんどないばかりでなく、長崎県という地域の振興という面でも、大きくつまずく結果となってしまった(だから民主が良かったという意味では無い)。選挙の前から嫌な予感がしていた理由が、やっと今わかった気がする。選択すらできない選挙であったという現実を前にして、政治に何を期待できるというのだろうか。
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社会復帰を受け入れる社会でないとできない話だが

2010-02-22 | 時事
テレビ司会者、過去の殺人を涙ながらに告白
 高瀬舟的世界。
 告白内容が本当なら、素直に同情してしまう。安楽死についても考えさせられることだ。
 しかし、人を殺すことについては、また別の問題が生まれるような気がしてならない。この司会者が告白せざるを得ない心境になったことも含め、その罪の抱え方はおそらく殺したという人に重くのしかかりすぎるのではないか。殺しても平気な人がいるのかどうかという個人差はあろうけれど、影響があるだろうということは想像に難くない。戦地から帰った兵士が平常な生活を送れなくなるほど精神にダメージを受けるというのはよく聞くものだ。
 宗教観も影響するとは思うけれど、普通の殺人とは違う形で罪を償うということが必要な場合もあるのではないか。贖罪することが彼を救う道であるとは限らない。
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