カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

非常時に言語も備えられるか

2012-03-15 | ことば

 311を境にいろいろと報道も盛んになったし催しなんかも多くなり、改めて災害を検証するという試みがなされたようである。ある人が言っていたけど、復興はまだまだであり、この区切りが終わりになることが恐ろしい、ということだった。確かにこれで支援が一区切りになったと考える人も増えるのかもしれない。風化の恐ろしさである。

 そういう中で少しだけ気になったのは、避難する時にこれほどの津波を想定していなかったという意識もさることながら、誘導を呼び掛ける際の言葉遣いに妙な丁寧さを感じたことだった。実際に津波が目の前に見えると、やっと「逃げろ」と悲痛な叫びになる。おそらく手遅れになった後だったかもしれない。
 日本語の命令というのは難しいもので「逃げろ」という呼びかけをすることに、遠慮を感じる意識があったのではあるまいか。上から目線なんて言葉もあるが、ましてや人に命令するような機会のある人は、案外少数なのではあるまいか。緊迫した状況にあってなお、人々に避難を呼びかける際にも「逃げてください」などとお願い口調にならざるを得ない。緊迫した状況でなお、丁寧さが要求されるのはどうしたものか。
 また女性が誘導を呼び掛ける際の難しさもさらに困難さを感じる。短くしようと思えば、せいぜい「逃げて」と願望を呼び掛けるしかない。劇作家の永井愛が、日本語は女に命令されたくない言語だと語っていたことがあったようだが、女性が命令形を使いたければ、確かに丁寧語にならざるを得なくなるようだ。女性が「逃げろ」と叫ぶ場面は、なかなか想定しにくい。まことに不合理で、非常時には困ったことではないだろうか。
 非常時でなくとも、例えば駐車場の整理などをする際も、誘導する方がドライバーにペコペコお辞儀したりして一所懸命お願いをしている。いうとおりするだけで何度もお礼を言われたりする。車の整理は多くの人の利益なのだから、誘導する人が卑屈になる必要など微塵もないと思うのだが、日本人の多くは、これを当たり前のように思っているフシがある。非常時でないとはいえ、これが非常時になるともっと混乱する原因になりはしないだろうか。
 平時には有効な日本語のコミュニケーションかもしれないが、非常時にはまさに「想定外」になりやすい言語としての欠点がありそうだ。もしくは日本人の精神性かもしれないが…。命令形でも不快に思わないドライな感覚を養成する方法は、何か無いものだろうか。
コメント
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