SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム/入江悠監督
このぜんぜん共感できないヒップポップという音楽を題材にした映画が、どうしてこうもまた僕の心を掴んでしまうのだろうか。映画が面白いというのがまずあるのだけれど、しかしこの面白さは、実際にはかなり痛い状況というか、実にカッコ悪い後味の悪い話ばかりなのにもかかわらず、しかし笑えると同時に心の深くでは、どうしても笑えない自分自身の恥ずかしい真実を見せつけられるような、そうでありながら妙な解放感と爽快感が伴って、はっきり言って深い感動が身を包んでいくのである。
前作よりちょっとだけ洗練されているような感じもして、2だけど続き物というより独立した話ということも言えて、誰が見てもかなり満足できる仕上がりになったのではなかろうか。三作目も現在公開中だし、それなりにタイムリーに楽しむいい機会ではなかろうか。
基本的にはダサく閉塞感の抜けない適当な田舎町で、文化的になじみの持てないヒップポップという文化が入り込んで不協和音を起こすということを笑っていこうということではあるのだと思う。その設定自体がひりひり痛く、そして笑える。ただでさえそうなのに、主人公たちは楽観的にある意味でストレートに、ヒップポップに愛を傾けている。そしてそのまま転げ落ちるように、その愛の対象から裏切られ続けるのである。ものすごく痛い目にあって絶望し、しかし愛ゆえに諦められない。ほとんど真正マゾなのだが、いやしかし、そのような逆説的な状況だから、自分の中のストレートな愛が、強化し確かめられていくのかもしれない。ほとんど現代のヨブ記である。
さすがに二作目なので、この展開はなんだかまずいぞ、という警戒のサイレンが頭の中で鳴っているのは分かる。主人公たちはそれでも、そのまずい状況に飛び込まざるを得なくなる。ただでさえヒップホップどころではないはずなのに、現在の状況自体が最悪なのだ。その最悪な状況から抜け出すために、どうしてもヒップポップでなければならないと考えている。しかし誰が考えても無理がある。裏切られ打ちひしがれ、身も心もズタズタにならざるを得ない。そうしてもうこれ以上落ちられないと思われるような深みまで陥って、さらに地面を掘るような恥ずかしい状況で、そして叫ぶしかない状況でヒップポップが本当に輝きだすのである。涙が流れながらこのカッコ悪さを気分のいいものに替えてしまうマジックは、これは映像の力というよりやはり音楽の力なのだろう。はっきり言ってかなり凄いです。
まあしかし、普通に楽しんでもぜんぜんかまわない作品であるとは思う。僕のように疎外された(ように勝手に思い込んでいた)青春を過ごした人間にとっては、まさにかけがえのない青春賛歌の傑作だが、そうでない人の方が、たぶん圧倒的に多数だろう。そうではあるだろうが、その本当に正直なところでは、やはり誰もが思い当たるような共感があるのではないかと僕は勝手に思っている。そうしてそのような自分に本気で向き合おうという人間にとっては、やはり心の友として、この映画は強烈に輝き続けるに違いないのである。なんだかずっと撮り続けられて欲しいものだと思う。相変わらずヒップポップは聴かないだろうけど、この映画で聞くのは本当に恥ずかしく心地いいのだった。