出汁を取らないでみそ汁を溶いても、かなり残念なみそ汁にしかならない。インスタントのみそ汁の方が、恐らく味は上だろう。そのような旨味の無い食べ物については、日本人の舌はかなり敏感になっていると思われる。それは自然に経験が培われている結果であろう。
一人暮らしの調理の調味料で、重宝するのは麺つゆらしい。考えてみると出汁の凝縮版ともいえるもので、量さえ間違わなければかなりの使い勝手の良さなのだろう。時間短縮にもなるし、バリエーションも増えるし、その上味がよく仕上がる。もちろん一人暮らしで無くとも利用しない手は無いのだが。
昔から蕎麦屋のカツ丼は旨いというのは定番である。しかし、それは考えてみると至極当然のことであるようだ。旨い汁を作らなければ蕎麦は活きない。そしてそのような汁を応用できるのが、蕎麦屋のカツ丼という訳だろう。もちろん親子丼しかりである。
子供の頃には、まだまだカレーうどんのようなものは、ちょっと変わった料理というような事を言われていたように思う。僕なんかは子供だから食べるのだろうと思われていたフシがある。しかしながらこれも旨いのは当然のことで、出汁とカレーの相性は、もともといいのである。カレーうどんでうどんを食べ尽くして残った出汁も、かなり絶妙に旨い。カレーを溶く水を出汁にしてもいい感じになるのではあるまいか。
結局旨さを実感するためには、油であるとか出汁等の旨味を利用するというのが合理的だということらしい。隠し味などともいうが、そういうのは意外なものというより、合理的なものというべきなのだろう。中にはなんでもマヨネーズとか、一味だとか、はたまた醤油だとかいう話になりがちだが、やはり組み合わせにさまざまな面白さが必要な気がしないではない。
でもまあ、結局は作る人の腕で味が違うのも確からしい実感で、素直に僕は引っ込んでいるより無いんですけどね。旨い不味いの話とは腕と関係ないお気楽なものなのであります。