ノビた麺
2013-01-18 | 食
先日ノビてしまったカップ麺が好きだという人がいて、ぜんぜん共感できなかったのだが、本当にひとの好みというのは不思議なものである。ノビた麺でもぜんぜん食えない訳ではないが、やはり残念である。
と思っていたんだが、息子の食べ残しのラーメンがドンブリに残っている。まだほんの少し麺がある。当然のびていて、見た目にも残念だ。そうしてつまんでみると、やはりのびている。一口食べてみて、のびて無い麺より当然美味しくは無いと思う。そうなんだけれど、本当にそんなに不味いのか。いや、不味いのだけれど、マズウマという言葉が頭に浮かぶ。その不味さそのものが、なんだかいける気もする。
そう言えばカップ麺にお湯を注いでいると電話がかかってきて、しばらく用件を話していると、すっかり麺がのびてしまっていた事があった。麺がスープを吸ってしまって膨張している。自分の長電話と相手の間の悪さを罵るのだが、しかしなんだか諦めもつかない。少しばかり冷めているが、そのままかまわず啜ってしまった。なんだか情けないような気分にはなるが、ぜんぜん食えない訳ではない。そうして結局完食してしまったではないか。
食い意地が張っているだけと言われればそれまで。あの不味さは進んで食べる気になれないだけのことで、ぜんぜん食えないレベルでは無い。好きかといわれると好きだとは言えない。それでもちょっとだけ懐かしいような気もするから、食の記憶というのは不思議なものである。
好きといえる感性は無防備だが、しかしあんがい正直だったのかもしれないな、などと思いはするのであった。