カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

壮絶だけど変な映画   ザ・マスター

2014-01-18 | 映画
ザ・マスター/ポール・トーマス・アンダーソン監督

 初っ端からなんだが、見事に何のことなのかさっぱり分からない映画だった。何となくエッチなトラウマの葛藤映画なのかというのは感じたけど、だから何だというのはやはり分からない。分からないが何となく怖い感じがつきまとって、いつそれが大爆発するのか、ドキドキし通しだった。そういう緊張感の持続するいい映画ではあるのだが、いかんせん何のことやらわからんというのは多少痛いことかもしれない。しかしながらそれで面白くない映画かというと、実はそんなことはなくて、さすが若いのに熟練の監督さん風のアンダーソン君という印象も持つ。素晴らしいけど、まったく変な映画なのであった。
 人間の洗脳はどうやってやるか。さらに多少キテいる人に対してはどうするか。おそらく実話どおりというか、かなり忠実に再現しているのではないか。普通の洗脳は学校の授業で受けているものが基本だけど、もっと個室などのほうが効果が高いだろう。基本的にわけがわからないだろうけど、支配するにはこういう感じだとうまくいくというのは学習できる。もちろん自己防衛のためにこれを学習しておくと、たぶん生活上も役に立つだろう。これを見て「まったく平気だったよ」という安心を覚える向きには、甘い!とだけ言っておこう。対面の人間の迫力というのは、こういうものではもちろん違う。知っておいて騙された振りをするのに都合がいいと考えたほうがいい。そうして次の機会を作らず逃げる。実生活ではそういう術こそ賢い生き方だ。
 そういうことだとは思うのだが、やはりかなり怖い体験には違いない。おかしいと気づきながら、実際には抗えない。しかし組織からは疎外されても行く。そういう葛藤を経てしかし首謀者との関係は深くなっていく。お互いがお互いを奇しくも支えあっている。妙なバランスなのだが、しかしそれなりに強固に結びついている。それはお互いが実は弱く不安定だからこそ、お互いが強く結びつくということなのかもしれない。人間の結びつきというのは本当に不思議なものだと思うのだった。
 そうではあるが、やはりむちゃくちゃである。こんなことがあっても、支持者は広がっていくということだろう。強烈な個性だからというのもあるし、しかしその首謀者には影の支配者もいる。そういう重層的な狂った世界が本当に存在しているということだ。多くの有名人がその会員である、米国の有名なカルト宗教集団のサイエントジーの内幕映画なのだから。僕はまったく知らずに見ていたのだが、最初は宗教ではなく科学であるということでスタートしていたのだ。科学というのも一種の宗教だから(学問としては違うが、大衆の思想としてはいまだにそうだ)、その成り立ちはまったく正しい。そうして間違いを指摘されるとキレるのだ! 面白すぎるが、痛い。こんなんで本当に米国その他を席巻しているなんてまったく驚きだ。トム・クルーズやトラボルタやベックなどが信者だというが、こういうのに引っかかってるなんてまったくほんとにどうかしている。しかし宗教なら自由だから僕は文句はない。せいぜいがんばってください。
 でもまあ、やはり人間には救いが必要なんだろうな、とは思うわけだ。そういうどうしようもない部分がたまらなく悲しいわけだ。自分がおかしいことはわかりながら、やはりおかしいことはやめられない。ほんの一時でもいいからそういうものから逃れられるとしたら、たとえそれが本当には間違ったことだったとしても、第三者の誰がそのことをとがめることができるのだろうか。いや、迷惑ならとがめていいんだけど、本人はやっぱり納得はできないだろうな。
 もともとそういう変な人間の本質部分をえぐりだす映画なのだから、映画自体がやっぱり変になっても仕方がなかったのだろう。問題作というのはそういうものだという見本のような、実に妙な気分にさせられるカルト映画ということが言えるのかもしれない。お勧めではないけど楽しんでください。
コメント
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