定期的に予約して聞いているFM番組を再生して聞こうと思ったら、違うものがかかっている。あれっ、今週はお休みだったのかな? と思って残念さを噛みしめながらぼんやりそのまま聞いていたが、それにしても同じ時間帯に邦楽の番組というのも不思議な気がする。雅楽ともいうのだろうか、雅であるのは分かるが、普段ふれることの少ない分野である。特殊な人が特殊な環境で聞くという感じもする。その日は萩岡松韻という人を中心に、その家族というか奥さんとかお仲間の人が、数人で演奏してたもの、さらに萩岡さん自身が何か歴史的に因果のある場面において作曲された曲を披露されているらしい。曲の解説もたんたんと的確である。どういう内容かもさらりと語られていて、その後に流れている状況が果たして解説の通りなのかはまったく理解できないまでも、なるほどそういうものか、くらいには感じ入ることができる。
さて、しかし何故そのまま僕は聞き続けているのだろうか。暇だからだろうか。聞こうと思っていたロックの音を聞けずにショックだからだろうか。
ああ、そうだった。これは録音予約の時間を間違えたに違いないのだ。夕方と朝の十二時間を間違えたのだ、たぶん。
さらにじわじわ自分の愚かさと取り戻せない(再放送は無い)時間の切なさに打ちひしがれながら、さらに邦楽の琴の音と鼓の音と、イヨーっという掛け声や歌声を複雑な気分とともに聞く。なんとなく寂しい調べではないか。この世ははるかに古から無情な時間を過ごしてきたものよ。そうしてかえらないものを惜しみ、いつまでもくよくよとしている人間の小ささよ。
などと考えながら一通り曲を聴き。結局しかし、違う曲が数曲流れた筈なのに、それが違ったのかどうかさえ曖昧で分からず、解説があったが、そのような場面がどこにどうやって再現されていたかもわからないまま番組が終わった。おそらくこれからも、このような体験を経ても、この世界との交わりはなかなかうまくいかないことだろう。
さて、帰ったらこの番組を消去しなければ。そうしてその空間を埋めるのは、間違った予約時間でないように気を付けなければならないのだ。