カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

晴れ晴れとした気分を獲得するために   その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。

2020-10-11 | 読書

その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。/吉川浩満、山本貴光著(筑摩書房)

 古代ローマの大賢人といわれるエピクテトスという人の教えは、その弟子であるアノアリスという人が、あくまで覚書のためにしたためたノートがあった。それがなぜか流出して有名になったらしい。その後まとめられてズバリ「人生談義」という本になって、現代まで伝えられている名著という感じらしい。その原著の「人生談義」という書名通り、さまざまな相談ごとにエピクテトスが返答する、いわゆる問答で哲学が語られているということだったのだろう。そういうエキスを拾い出して、現代人の悩みも解決してしまおうという本である。
 しかしながら、様々な悩み相談がなされているわけでは実はない。エピクテトスさんの考え方には汎用性があって、いわゆるどんな悩みであっても解決できるとは厳密に言って限らないものの、考え方としては、その道筋を照らすものには必ずなるのではないかと考えられる。何しろ哲学なんで、ほとんどはその教えに沿って自分で考える必要があるということが前提にあるわけだが、なんだか悩んでいることすら馬鹿らしくなるくらい明確になる方法論である。
 前置きが長くなったが、答えはとてもシンプルで、物事は権内と権外に分ける必要があって、要するに自分でできることと出来ないことを最初に分けて置く。権外というのは、例えば天気であるとか、日本の経済であるとか、まあ、自分に関係がないわけでもないが、自分だけの力ではどうしようもない問題である。ということは、そもそもの悩みの中に、その権外のものが含まれているのであれば、バッサリと考えなくても良いと切り捨てるのだ。そうして権内の問題だけに集中する。解決できない悩みごとの多くは、あんがい権外のことが多くて、だからこそ解決が難しいだけでなく、そもそも悩む必要さえないことなのだ。で、実際悩むべきことは絞り込まれ、そのことに集中し答えを導き出せばいい。もちろんそのために努力すべきことがあれば、やはりそれはコツコツやるより無いし、そうして実行していけば、まあ、何とかなるだろうってことなんでしょう。
 当たり前といえば当たり前だが、例として、松井秀喜選手の言葉を引用している。「打てないボールは、打たなくていい」ということに尽きる。その変わり打てるボールにより集中すべきということかもしれない。
 これがいかに凄いのかというのは、直感的には実感が湧かないかもしれないが、具体的に考えてみると、凄いな、と改めて思うのではないか。例えば「気に食わない上司が、毎日的外れなことを自分に言ってイライラするのはどうしたらいいのか?」という悩みがあるとしたら、毎日的外れなことを言う上司は、果たして自分の権内の問題としてどうすべきか、ということから外れてしまう。そもそも上司が何を言おうと、そんなに自分のやるべきこととは関係がないからだ。上司の性格がどうこうというのは、自分の好みでどうこうすることではないし、的外れないことをいう上司の仕事ぶりというのは、役割として言っているのであれば、自分の役割とは関係がない。上司が仕事ができようができまいが、役割なのだからやっている仕事の能力とは関係がないし、自分の立場として仕事をすればいいだけのことに、上司がどうだというのは、実際問題として自分がイライラする問題ですらないのだ。しいて言えば、的外れなことを言われない仕事を自分にできるのか? ということくらいはあるかもしれない。自分がやるべきことを真摯に考えるのであれば、自分が納得いく精度に仕事を高めていくことに向き合って、頑張っていくべきことなのだ。ということで、上司がどうだということは、何ら自分が悩むべきことではない問題に過ぎない。つまり、そんなことで、そもそも悩む必要などないのである。
 さて、答えは明確だが、さっぱりしましたか? これにはたぶん訓練が必要で、僕のような解釈でいいのかも僕には本当は分からないのだけれど、そういう考え方ができるような人間になると、ずいぶん世の中は明るくなるかもしれないな、とは思ったのでした。
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