寝る前になるとなんだかイライラして寝付けない。単に不眠症というのではない。眠剤(導眠剤)を飲んでいるので、不眠症じゃないといいきれないところがあるが、そういう意味ではない。とにかく何かをやっていない、何かは済ませていない、やることができなかったetc、そういう思いが湧いてきてイライラしてしまうのだ。原因ははっきりしている。時間が足りないからだ。少なくともそういうふうに自分が思っているからだ。
実はこれは、コロナ禍と関係がある。コロナの関係で多少は時間の余裕ができて、自分の時間と言うか、少し自由度のある時間そのものが生まれるような感じになっている。時間のやりくりに忙しかった時は、暇になった時のために何をしようか、ということを考えるのは、割合普通のひそやかな楽しみであった 。そのために、空いた時間の準備と称して、いろいろ本を買い込んだり、見たい映画をメモしたり、そして家では、様々な番組を録画しておいている。すべては時間ができた時に、ゆっくりとそれらを消費して楽しむためである。
本を買い込んでいても、 時間がなければ読むことはできない。そういう分かりきった状況で本が溜まっていっても、それは仕方のないことである。残念ではあるが、無理なものはしょうがない。ところが少し時間に余裕が出てくると、手にとって読んでもいいような時間が、しばしば生まれる。そのまま読んでしまえばいいものの、そういえばあの本も、そしてあの本だって今のうちに……、なんていうぐあいに、いろいろ四方八方に 手を伸ばしてしまう。そうやって読み止したままの本は、どんどんどんどん積み上がる。そもそも今までも読んでいなくて積み上がっていったんだが、少しは読んでいるものがさらにそれに加えて積み上がる。少しはといっても、それがどれくらいかというと、もう少し突っ込んだ方がいいかもしれない、というぐらいは少し読んでいる。もうすでに先が気になる段階に入るぐらい読んでいるので、これはもうどうしても最後まで読んでしまいたいという思いも強くなる。しかし今読み込んで片づけていったとしても、やっぱり全部読むことは、いくら時間ができたからといって、ほとんど不可能である。これまでも4,5冊同時に読むということは日常的には普通の事だったが、そうしながら別に拾い読みする本の半分以上は断念しても、仕方がないなという程度だった。しかし今はざっと考えても2.30冊は同時進行で読んでいる。ふつうは三四十センチの本のタワーが二つくらいで持ちこたえていたのに、このタワーが何か所にもそびえてくるようなことになってきた。もう、こうなってくると、ちっとも読み終えることができない。本文の末までたどり着けるというような、そういうレベルには無いのである。
これは録りためているテレビ番組でも同じことで、もともと僕は一週間ぶん見たいと思うような番組は、予約録画する習慣がある。NHK と教育番組と BS 放送である。 Amazon プライムでも見ようと思っている映画もためているし、定期的に送られてくる DMM からも見たいと思っている映画をなん十本と予約してある。強制的に届くものは少し優先度が高くてコツコツ見ることになるが、そうすると最初から見ようと思って録画してるものが、後回しになったりする。一応最小限という感じにはしてるつもりだけども(面白くなさそうだと見切ったらすぐ消去する)、そもそも忙しい時には、これらを全部消化することは、もともと不可能だった。ところがコロナ禍になって、当たり前かもしれないが割合普通に家に帰ってくるようになった。録りためたものとか準備したものを、自由に見ていいような気がする。チャンスのような気がする。実際結構コツコツとみている。一所生懸命消化して見ている、という感じかもしれない。でもそもそもが、多すぎるのだ。家にいる時間中録画を見るといったって、そうであっても時間は有限で、限界だってある。新聞だって読むし、トイレにも行く(この時本は読める)。つれあいと一緒に買い物に行ったり、愛犬と散歩にも行く。そういう風にしてうっかり外に出ると、母がその隙ををついて「男はつらいよ」を見てしまう。そんな母だが、休みの日なんだから先輩(僕のこと)の好きなのを自由に見ていいよ、と、以前は僕に気遣って言うこともあった。しかし今は、そんなことはめったになくなってしまった。母としては、僕が見る録画番組を見るのが、大変に辛いのだ。何しろわけわからないようだし、そもそも面白くない 。僕が見るのは料理番組とかドキュメンタリーとかニュース解説とか旅や冒険だとか科学番組である。 妙なバラエティも見ているけど、もちろん民放のものではないし、そんなに笑いがでるようなものは見ない。僕にとって面白いは、僕の個人的な面白さを感じるものであって、家族揃って楽しいようなものは少ないのだろう。たまに落語や講談などで一緒に楽しめるかな、と思うものもあるけど、母としては、落語はお気に召さないようだ。
要するに家にいる時間は、録りためてある録画物などを、寸暇を惜しんで一所懸命見なければならない。そういう風にして頑張ってみているにも関わらず、いつの間にか寝なければならない時間がやってくくる。酒を飲んでいれば、多少は諦める気分も早いが、休肝日にはそれができない。何とも言えない焦燥感と、自分の無力感のようなものが襲ってきて、最高にイライラした気分になる。グラグラやかんの水が湧いているようなもので、何度も大きく深呼吸をする。メモ帳にイライラした気分を書く。そして改めてその馬鹿な自分を見つめ直す。
そういうわけで、分かっているのである。精神病のうつになるような前段階が、このような過剰な感じだろうなと思う。発症しかかっているのである。僕に必要なのは選択であって、そしてあるいは削除である。何が要らないのかというのは難しい問題だけど、目の前にあるものをとりあえずは大きく減らして、選択肢自体を減らさなくてはならない。そうして一つずつを片付ける。できればその一つに集中できるようにする。そうして済ませることができた自分を褒める。と言うか充実感に浸る。 やる前とその時とその後。そういう循環を取り戻さなければならない。時間ができたことでこういうことになってしまうなんて、改めて人間というのは厄介だなあと思うのである。