kosakuの雑念

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在庫と蔵書は知識の代替物

2010-10-25 11:19:58 | 日記
「古書店めぐりは夫婦で」(L&N・ゴールドストーン)は私の好きな本のひとつだ。
原著1997年、邦訳1999年。
ハヤカワ文庫。680円+税。
本の中に出てくるある老人が言うには
”蔵書とは、自宅史上最高の偉人たちの頭脳を並べてあるようなものだ。”(17ページ)
この老人がぐだぐだと語る部分は原著で読んでみたいなと思ったがそのままになっている。
電子化されて、原著と邦訳を切り替えて、ちょっと原文の表現をみたいときにチェックできる環境だったらいいよなあと夢想する。
DVDで洋画をみるときにセリフを確認できるみたいに。
出てくる単語、人名もサクサク辞書で調べられたらいいよなあと夢想する。
読んだ本を全て蔵書とすることができて、しかもいつ読んだのか、どれくらいの頻度で読んでいるのか、そういったものが全て残っていたら、なんか面白そうな感じはする。
たぶん、流行りの新書とか小説ばっかりになるんだろうけど。
データだけだったら、読んだ本がすべて残ってなくともいいのか。
じゃあDVDレンタルみたく、月ぎめ定額で、8冊までとか読めるサービスがあればいいのに。
とくに新書や小説は基本的に1度読んだら捨てるだけだし。
まあそんなことはどうでもいいんだが。

”要するに、在庫とは知識の代替物のことである。線上に赴く兵士が自分は36発きっかりしか銃弾を発射しないとわかっていれば、それ以上の銃弾を持って重量を増やす必要はないし、さまざまな救急用具など、使いもしないものを持っていく必要もない。つまり、知識がない、ただそれだけのせいで、そうした在庫を備えとして持っていかなければならないのだ。”(ソーウェル「入門経済学」203ページ)










電子書籍が高いのはしょうがない

2010-10-25 03:21:32 | 日記
紙で印刷されていないのに高い感がする電子書籍なんだが、けっきょくそれって我々は印刷された紙という手に触れることのできる部分にお金を払っていると思ってきたものが、実はコストの構成要素の主たるものではなかったというだけのことだったということ。
もちろん経済の教科書に出てくるように、ハードカバーとソフトカバーのコスト差があれほどの販売価格差を説明できるほどの差がないという話からしても分かっていたはずなんだけど、実はサッパリわかっていなかったんだなあという話。
つまりソフトウェアに金を払っていたのにハードウェアに金を払っていたのだと錯覚してたわけだ。
なんか恥ずかしい。
そんなのいっぱいあるんだろうな。



ABCD包囲網

2010-10-25 01:02:02 | 日記
西尾維新「傷物語」を読んでいたら、ABCD包囲網というむかし歴史の時間に習ったような気がする用語を使った冗談があった。
山川出版社の詳説日本史をチェックしてみたが、そのような用語はなかった。
米国の日米通商航海条約の破棄通告(1939年)というのがそれらしいが、どこにも英中蘭など出てこない。
フランスが一切出てこないのも分からない。
スポーツ新聞の見出しのごときものを真面目に教えていた光景を思い浮かべると相当に笑える。