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日本の歌姫を絶賛!!山口百恵・中森明菜から初音ミク、そしてアイマスの「高垣楓」の声優・早見沙織!!

2021-02-26 00:00:00 | 報道/ニュース
日本は歌姫ですらも、絶賛すべき点が多いのは、本当に日本国民の一人として嬉しい限りです!!

あの山口百恵さんから、中森明菜さん、平成で大爆発というべきヒットを飛ばした「ボーカロイド」の初音ミク、そして「アイドルマスター」シリーズの曲では海外のコンサートでも引用される曲がある中で、ダントツの人気を誇る「高垣楓」の声優・早見沙織さんまで、本当に、本当に多いですね!!

日本に生まれて良かった!!

2月24日、zakzak by 夕刊フジが「21才で結婚した山口百恵さん 幸せなだけではなかった一般人生活」の題で「“電撃”も…芸能人結婚特集」の特集項目にて、一見してかなり辛辣な記事、と思わせながらも山口百恵さんの真摯な覚悟を次のように伝えました。

『伝説的な引退コンサートが1月下旬にNHKで放送されたことで、再び注目の的となっている山口百恵さん(62才)。14才でデビューし、21才で引退し結婚するまで、芸能活動はわずか7年間だった。

 1974年、百恵さんはCMの撮影で、後に夫となる三浦友和(69才)と出会う。2人は、百恵さんが18才になるころから本格的な交際を始めることとなる。

 そして、1979年10月20日、大阪厚生年金会館でのコンサートで百恵さんは、「私の好きな人は三浦友和さんです」とファンの前で交際宣言をしたのだ。この時、百恵さんは20才だった。

 ◆忙しすぎて

 20才での交際宣言、そして21才での結婚と引退は、周囲を大いに驚かせた。これだけの人気者がなぜ引退するのかという疑問すら多くの人に抱かせた。そして、何を隠そう三浦自身も、百恵さんの女優としての資質を惜しんでいた。

 「百恵さんは自らの著書『蒼い時』(集英社刊)で、三浦さんに“女優としての資質が素晴らしいと思う。だから仕事を続けて欲しい”と言われたことを明かしています。“最大の理解者”からの最大限の賛辞ですよね」(芸能関係者)

 しかし、百恵さんの覚悟は一度定まったら揺らぐことはない。結婚と引退は彼女の中では切っても切り離せないものだった。

 《私は彼のためになりたかった。外に出て行く夫にむかって、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言ってあげたかった。愛する人が最も安らぎを感じる場所になりたかった》(前出・『蒼い時』より)

 それは、彼女にとって「一生の覚悟」だった。

 当時、日本中を興奮の渦に巻き込んだ歌手だった百恵さん。そんな彼女が、慎ましやかな生活に希望を持つことは、多忙さゆえかと見る向きも当時はあった。

 「当時は、“目が回るような”なんてレベルではなかったですよ。忙しすぎて、撮影に来られない百恵さんのために、後ろ姿の“影武者”まで準備したほど。そんな生活から逃げたくて早くに結婚したのかなと、当時は思っていました」(別の芸能関係者)

 古くからふたりを知る音楽関係者はこのように分析する。

 「ボクサーや力士は、体力・気力の限界まで戦い、自分の限界を理解して、諦めるようにその場から去って行く。引退というのはそういうものですが、彼女の場合は違いました。年齢的にも、まだまだこれからというところで辞める。それは、三浦さんへの愛と、アーティストとしての生き方を秤にかけて、前者を選んだ結果でした」

 この通り、三浦への愛を選んだ百恵さんはその選択が正しいと信じてやまなかったのだろう。引退直前の映画『古都』の撮影現場では、これまでの疲れ切った顔ではなく、晴れやかな表情が目立っていたという。

 1980年10月5日に日本武道館で行われた引退コンサートは、先日、NHKでその模様が再放送され、話題を呼んだ。百恵さんは悔いなく最後まで歌い、ファンに寄り添うように語りかけた。そして、最後の曲『さよならの向う側』のためだけに純白のドレスを身にまとった百恵さんは、握りしめていた白いマイクをそっとステージに置いた。

 引退コンサートの余韻も残る約1か月後の11月19日、ふたりは赤坂から虎ノ門へ抜ける坂の途中にある霊南坂教会で結婚式を挙げた。式を終えると、場所を東京プリンスホテルに移しての結婚披露宴が開催され、2000人近くの芸能関係者が出席した。

 結婚披露宴に出席した芸能リポーターの石川敏男さんは、披露宴の豪華さもさることながら、引き出物も記憶に刻まれているという。

 「手帳、ノート、ボールペン、万年筆だったね。この引き出物のチョイスにも几帳面でコツコツ努力家タイプの百恵さんの一面が見えた気がして覚えているんですよ」

 そして、大勢の人に祝福を受けたこの日を境に、百恵さんは表舞台から消えた。

 急に始まった“一般人”としての生活に物足りなさを感じて復帰することなく、自らの選択を揺るがすことはなかった。

(以下略)』

いわゆる「妾の娘」として生まれ、親権を持った父親に苦労させられた山口百恵さん。
そして母親を支える為に芸能界入りした真摯な姿勢が、今も多くのファンを支えているのです!!

本当の歌姫はこうでなければなりませんね!!

さて、同メディアでは中森明菜さんの連載もされています。
2月23日に同メディアが「「禁区」のプロモ中、思わぬところでブチ当たった壁 各局アナやDJが「どう発音するの?」の題で「歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡」の連載記事を次のように伝えました。

『中森明菜の6枚目のシングル『禁区』は1983年9月7日に発売された。

 これによって、デビュー前から明菜の楽曲のコンセプトだった『スローモーション』『セカンド・ラブ』『トワイライト~夕暮れ便り~』の“バラード3部作”、そして『少女A』『1/2の神話』、そして『禁区』の“ツッパリ3部作”が完成した。

 当時、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽宣伝課で明菜のプロモーターを担当した田中良明(現在は「沢里裕二」として作家活動)は「心のどこかで達成感のようなものを感じました」と振り返る。

 「私が担当プロモーターとして入ったのは『1/2の神話』からでしたが、明菜は楽曲も含め戦略が徹底していました。とにかく彼女はインパクトが大きかった。それに周りからは、いつの間にか“ポスト(山口)百恵”といわれるようになりましたが、明菜はまだ新人ながら、不思議と周りを意識していなかったように思います。もちろんわれわれは常に周りを意識していたのですが…。ところが彼女は『自分は自分』というスタンスを明確に持っていました。しかも、すでにアーティストとしてもボーカリストとしても、どこか異彩を放っていましたから。彼女自身は『少女A』や『1/2の神話』は好きな作品ではなく、売野(雅勇=作詞家)ともあまり会うことがなかったとは聞いていましたが、結果的に、この2つの楽曲パターンを繰り返すことが、彼女のアーティスト性にフィットしたのだと思います」
(以下略)』

成る程、なるほど。
やはり、アーティスト+歌姫でなければならないのが、中森明菜さんからの歌姫の流れになった、と筆者も思いますね。
筆者はその新鮮な雰囲気に憧れ、最初に買ったCDが中森明菜さんのベストアルバムだった事を今も思い出します。

そして平成の世が進み、21世紀に入り「ボーカロイド」がヒット、初音ミクがゲームやアニメ音楽好きを世界的に巻き込み、多くのアーティストすら絶賛する大ヒットを飛ばしまくりました。

更に、アイドルマスター、その派生拡大版のシンデレラガールズがヒットにヒットを重ね、その中でも筆者一押し、ダントツの人気を誇る「高垣楓」の声優・早見沙織さんまでが今や、間違い無く「歌姫入り」しています。


日本の歌姫を絶賛!!
山口百恵・中森明菜から初音ミク、そしてアイマスの「高垣楓」の声優・早見沙織!!



新型コロナ感染予防にも登場した、初音ミク
出典:首相官邸HP



こいかぜ - 高垣楓 (CV:早見沙織) (THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 004)
出典:アイマスファン ツイッター流布画像


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