小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月十五日

2016-02-12 | 嘉永四年 辛亥日記
  

一日中小雨が降っていた。
何事もなし。
浅之助が二時頃来てすぐに帰った。
昨日、西光寺の発案の市川の詩集のことでちょっときた。茶を出しただけ。
母君がお灸をすえるところだったのでお構いできなかった。
今日、母君は牡蠣を持ってお手形を頼みに松下へ行った。
夜に油を買いに行く。


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一月十六日 

2016-02-10 | 嘉永四年 辛亥日記
 

曇っているが雨は降らなかった。
庄兵が楠木正成の掛け物を一つ持ってきた。
去年の九月に八匁で質に入れていたという。
その質札代の二朱欲しいとのこと。
望みを叶えてあげることにした。さらに鉢一つが三匁とのこと。
いずれも不用の物だけど、庄兵はここのところ借りが多くひとまず高野へ行くというので買ってあげることにする。

夜、主人は楠公の書を見せに鈴木芳右衛門殿宅へ行く。



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一月十四日

2016-02-06 | 嘉永四年 辛亥日記
 
曇っていたが小雨も降った。
田中から鉢を取りに人を寄越した。
風呂敷と傘と下駄も持参。雪駄をくれよというので尋ね探したが見つからず気の毒だった。
信江が前夜泊まってこれから帰ると暇乞いに来た。寿司で一杯、年始する。
市川から手紙を持ってきた。
先日から取りかかっていた詩集が明日は摺立てなのでちょっと見て欲しいとのこと。直ぐに見て万二郎に持っていかせた。
安兵が来て「醤油を城ノ口へ取りに行ったところ、二十日頃までは樽が出来ないし、この先値上がりもするらしいので一徳利だけ取ってきた」という。
酒も一徳利、田中店で取ってきた。




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一月十三日 

2016-02-04 | 嘉永四年 辛亥日記

庄兵がきた。この前に置いていった染嶋着物代をくれよとのこと。(前日の袴とは別)
九匁のところ、段通織り一つと銀のかんざしを渡す。残りは札で渡す筈。

梅本千太郎の誕生日なので赤飯を食べに来るようにとのこと。
昼頃に皆でよばれた。皆、おおいに酔う。
母君は紙取りに薬屋へ行く。
信衛しげ殿がちょっと新年の挨拶に来てすぐに梅本へ行く。
いずれも吉野紙一束がお年玉。

夜、九右衞門殿来られる。
山本浅之助が十七日に初めての講義を学校で行うので下読みをしたいので聞いてくれよとのことを先日話していたので、それを聴いていた九右衛門殿が十三日はお差し支えなければ聞きたく候と言われ、どうぞおいでくださいと答えたので来られたのだろう。
ところが、浅之助は人には聞かせたくない様子で先に帰ってしまった。
田中がすし一鉢、牡蠣一鉢を持って来られた。
雨が降りはじめ10時頃に傘と下駄で帰られた。
しかし大降りにはならなかった。


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一月十二日

2016-02-02 | 嘉永四年 辛亥日記
  晴れ
快晴なり。
庄兵がくる。かわり嶋袴一反二十匁の質屋の札を十匁で買って欲しいという。
庄兵はここのところ難儀しているので、ただでさえ少々ほどこしをしようと思っていたので買ってあげた。
一歩と七匁と弐朱と一匁を渡して袴を請け出す。
真善が礼に来る。菓子代弐朱。あり合わせ物で酒を出す。
帰るとまた、有田清吉が三匁と硬磁六十を持ってくる。庭から帰る。
夕方過ぎから母上と小梅は松下へ新年の挨拶に行った。
8時過ぎに岩一郎が迎えに来た。
家に帰って寛いでいると10時になる。
今日はとても暖かった。
月も素晴らしい。



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