小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月十二日、十三日、十四日

2016-06-14 | 嘉永四年 辛亥日記

三月十四日 
権七に羽織を返しに田中へ行かせる。橙を七つ持たせた。
同五へも酒一升とりにやる。

三月十三日 
夕方、岩一郎が市川へ行った。
かり表具を一つ貰ってくる。
少し日も当たる。

三月十二日 
今日は中谷と約束して根来へ参る筈だったが、6時頃から雨が降り出したので中止した。
三浦殿への稽古も根来に行くについてやめていた。
花も盛りが過ぎた。昨日も散りがちで盛りの花は稀だった。

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三月十一日

2016-06-12 | 嘉永四年 辛亥日記
 
快晴す。
惣(総)登城の日なのだが今日は欠席する。学校の当番だ。
小梅は昼前から田中へ行き、しばらくしてから荒浜へ行った。
今日は風も凪いで荒浜とは名のみで静かだ。
皆々松陰に毛氈を敷いて弁当を開く。しかし、主人が遅いのでみんな待つ。
岩一郎も岡野の稽古日なので遅くなかなか来ない。
4時頃には風が吹き始めなにもかもに砂がかかった。寒くもなってきたのでもう帰ろうということになった。
「あら浜はその名のみして春の海 なみもしずけくたつもわすれて」
さて、また田中でみな弁当をひらきみなで遊んだ。8時前にお開きとなり、みなと一緒に帰ろうとしたけど善一が書くものがあるからもう少しどうですかというのでしばらく遊んだ。
韻字を分けて詩を作った。
今、花満開でちらちらと一つ二つ散る。月は白く花に照り添い、非常に良い気分。
しかし、一句も出せないとなると心が苛立つばかり。
はや一緒に来た人たちが帰ってしまい静かになったのでほんとにもう帰ろうと立ち上がった時に、小梅は「有」という字を得ていたので余儀なくこのように書き付けた。
「よし野にもますをの清水底すみて 照らせる月に花の影有り」
この屋敷の東隣から清水が湧き出て、ここを流れ西成田地へ流れ出る筈なのだ。


※荒浜 南海電車の和歌山港改札の西口を出て南に行くと松林がある。
    かって、その松林は長く続いていた。
    その大きな浜辺はまさに白砂青松で人々の憩いの場所だった。
    いろいろな貝類も取れるので潮干狩りでも賑わったという。




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三月十日 

2016-06-09 | 嘉永四年 辛亥日記
 
廻状(知り合いへの回覧板のようなもの)を安田鉄助へ回す。
田中からイサがくる。明日あら浜に行くのでみんなもお出でとのこと。
返事をする。
上九がきて魚二尾、3匁8分なり。
それを田中へ持たせて足る。キス二尾はわが家用。
中沢沢之助がきた。
酒を出す。すし1匁5分のを木本屋へ取りにやる。酒は昨日取ってある。
沢之助は秀助と改名したが、また実名をつけてくれとのこと。
火の性で親は忠義というらしい。
中沢は4時頃帰った。
鈴木へ祝いの歌と手紙を遣わした。
夜、会があるので千太郎方へ行く。真善が筍3本くれた。


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三月八日、三月九日 

2016-06-07 | 嘉永四年 辛亥日記

三月八日  
昼前に古岳が来るというので待っていたが昼過ぎ、おそおそに来た。
風呂を焚く。
清吉も話している。詩を作りおおいに遊んだ。
主人は詩を書いて古岳へ遣わした。
山中へ講義に行く日だったので心が急いて小梅は大いに奔走した。
風呂を焚き、主人と岩一郎の髪をすき合間に結い、すしを少しこしらえ、その間に絵も描き歌を二首詠み、さてさて忙しい。
趣味ながらせき立てられるような程でようやく夕方風呂に入り、夜は休んだ、人々の応対に草臥れた一日だった。


三月九日 
今日も快晴。
おいおいに花(さくら)が咲く。
紀三井寺では早すぎ、根来寺はただいま真っ盛りだそうだ。
直川はちらほら咲き出したらしい。
三寒四温で寒暖は一定していない。昨日は素袷でも厚かったが夜はやはり炬燵。
今朝はまた寒い。
直覚へ切り取りにやる。


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三月七日

2016-06-05 | 嘉永四年 辛亥日記
 
快晴。
主人は二日酔いで枕から頭が上がらないので皆を休ませる。
昼前に起き出したが書を見ることも出来ない。
また明日からはご法事なので外にも出られないから、今日は川原あたりへ行かないかと言うので皆を連れて行く。千太郎一人が留守番。しかし今日は古岳が来るはずで来たら一緒に行こうと思っていたのだが、遅いので来たら後からでも河原に来るようにと千太郎に申し置いた。
その前に九右衛門殿が来られたのでご一緒にと言ったらちょっと行くところがあるので後から参ると申されたので先に行くことにした。
野呂清吉もきた。
梅本3人と荷物持ちの権七らみんなで11人で行った。
小梅は大いに酔い帰宅後寝たままで前後不覚となった。
清吉が泊まった。
夜中に主人が起きて火をおこしお茶を煮てくれた。
ようやく、この時小梅は少々目覚めたが、誠にこのようなことは不覚である。

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