「関ケ原」
「名ぶつさとうもち」「そぼきり」「うんどん」と書いた提灯や看板が見える茶店は、内に草鞋や傘などもぶらさげている。蕎麦切りと云う言葉は慶長ごろから使われ、後に「そばは江戸、うどんは上方」と云われたが、此の様に一緒に売り出すようになった。関ケ原宿は北に伊吹、南から鈴鹿の山が迫り、平地の最もくびれたところで、昔は中仙道きっての大宿であった。関ケ原は石田三成(豊臣方)と徳川家康が戦い、徳川家が天下を取る契機となった古戦場である。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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