「加納」
遠景に加納城が見られる、この城は一名沓井城といい、文安二年(1445),土岐氏の家臣斎藤帯刀左衛門利永によって築かれたが、天文(1555)頃廃城となっていた。しかし家康は、岐阜城を廃し、代りに南方を通る中山道沿いの加納宿を設けるとともに、加納城を築き,女婿の奥平信昌に10万石を与えて城主に据え、街道の管理掌握に当らせた。衣服や調度などを納めた長方形の挟箱を担いだ二人を先頭に、槍先の鞘に白毛の飾りをつけた毛槍を振る二人、続々と続く一行は参勤交代の大名行列である。
春日井市在住、1935年私的な挿絵等に全て自由にご使用ください。
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